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小野寺邦彦

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6つの能楽作品をモチーフに書き下ろした短編集

時代や国境をも越えて伝播していく、「普遍的な物語性」

その演劇スタイルを「異常な情報量、台詞量、運動量を詰め込む『エントロピー演劇』」と称する架空畳。13年前、当時多摩美術大学の学生だった小野寺邦彦が俳優の岩松毅と立ち上げ密度の高い作品を送り出してきたが、この数年はいくつもの作品が演劇祭などで評価され始めている。通常の公演の他にFLIP SIDE(レコードのB面を示す俗語)と名付けた実験性が強く、小さいサイズで行われる公演も展開している。今回彼等が送り出す「諧謔能楽集」はそんなFLIP SIDEの3作目。日本の伝統芸能である能楽から6つの物語を選び、そこに世界中の神話・民話・法螺話をミックスしてマッシュアップしたという作品だ。

PROFILE

小野寺邦彦(おのでら・くにひこ)のプロフィール画像

● 小野寺邦彦(おのでら・くにひこ)
東京都出身。2006年、多摩美術大学在学中に架空畳を旗揚げ。2012年『薔薇とダイヤモンド』が第18回日本劇作家協会新人戯曲賞の候補となり、2016年の『かけみちるカデンツァ』は第22回日本劇作家協会新人戯曲賞の候補となる。同作は日本劇作家協会「月いちリーディング」戯曲にも選出された。2018年の『彗星たちのスケルツォ』が第3回神奈川かもめ短編演劇祭に選出。2018年の『モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー』は神奈川かもめ短編演劇フェスティバル・戯曲コンペティション最優秀作品賞を受賞し、2019年に同フェスティバルにて劇団柿食う客によって上演された。

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――― 今回、物語の土台になる物語を能楽から採っているという小野寺。とはいえ能の形式を応用するということでは無いようだ。

「今回、ヴァリエーションが欲しいと思って、6本も作品を書くなどと無謀なことを考えましたが、能楽に対してはほぼ無知です。たまたま能楽を拝見する機会がありまして、退屈かな?と思ったのだけど、これが案外面白かった。でもその「面白い」はあくまで自分の主観での話で、他人にとっては「面白い」ポイントが違うかも知れませんし、そうなるのは解釈の余地があるからだと思い、演目の筋をざっとさらい、自分なりに解釈を進めることにしました。

 触れてみてまず思ったのは、とてもよくある話ということ。そしてその類型の物語が他の国や時代にも残っていることに気が付きました。これらの類型を集めていくことで、今度は類型化されない物があぶり出されていくかなと思ったんです」

――― 公演毎に小野寺がしたためる「ご挨拶」では、この類型化の作業を「いわば物語の『究極の普遍化』」と呼んでいる。今回は能楽をベースにして、そこにギリシャ悲劇、北欧神話、古事記など、各国の民話などを混ぜ込むことでその「普遍化」を試み、そしてそこからはみ出したものを載せ直すということだという。小野寺の話を聞いていて気が付いたのだが、そんな作業を進める原動力のひとつには、類型と判断できる物語を独自の創作だと思い込む風潮への批判が込められている気がする。

「これだけ同じような話が存在する状況で、自分しか思いついてない話だと主張するのは傲慢であり、オリジナリティを主張するのは詭弁であると思うんです。オリジナルだと思っていてもそれを疑う態度というのは必要ではないか。今や(過去の類型は)Googleで検索すればわかることでしょ。オリジナルだと思っていても、ググってみれば沢山先行例が出てきます。

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 音楽でも絵画でも文学でも、過去の類型をミックスしたりマッシュアップしたりして創作するのは、80年代には確立していたはずですが、演劇ではやってない印象があります。まだ60年代とかはやっていた、例えば鈴木忠志さんとか。でも我々の世代以降はそれができていない。音楽や文学は行き詰まると、過去の反省の上に新しいものを作るのに。
 今の演劇には過去に対する反省が無い。もしもある作り手が物語を発表したとして、同じような物語が10年前にあったとしましょう。もしも彼がそのことを認識していたらその上を行く物が創れるはずじゃないですか。歴史を知らないせいで有限な才能を使って10年前と同じものを作ってしまうのは勿体ないことです」

――― 文化の積み上げが無い、とも小野寺は言う。なるほどそんな風潮は確かに感じるが、同時に積み上げがなく浅い作品でも、その場でまあまあ評価されれば成功と見なしてしまう。そんな低レベルでの循環が起こっていることも否めない。

「寺山修司さんもいろいろな書籍からの引用が多いのですが、あの時代にそうした書籍を原書で読んでいたというのは寺山さんならではでした。だから許されるんです。彼はレヴィ=ストロースからもずいぶん引用していますが、それを自分なりに翻訳して換骨奪胎して寺山の哲学にしました。これは立派な哲学です。だって自分なりのソースをもっていますから。でも現代はGoogleがあるから、引用を自分なりに表現してオリジナルだと抗弁するのは無理があると思います」

――― 小野寺が送り出す作品がそんな低レベルな循環から抜け出していることは、これまでの実績や最近の評価を見ても明らかだ。しかし彼の戯曲(驚いたことに、ウエブサイトには各作品の一部を読めるようになっている。これも他の劇団にはない試みだ)を読むと、そこにはそれこそ80年代までの小劇場的な雰囲気に満ちている。例えば唐十郎や夢の遊民社時代の野田秀樹の戯曲に通じるものを感じるのだ。

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「それ、よく言われるんです。先祖返りだとも言われます。劇作家の川村毅さんには『今時アングラやる奴がいるとは思わなかったと言われました。僕はアングラのつもりではないのですけどね。「君の使っているのは全部アングラのモチーフだ。だから多分君には友だちがいないだろうから、今後寂しく一人で生きていくしかないよ」と言われたから素直に「ハイ」と(笑)。

 でも正直なところ、唐さんも野田さんのもほぼ読んだことないんです。最初に書いたとき同じ指摘を受けたものだから読まないようにしようと思いまして。だから表面は似ているけれど、構造は違うと思います。セリフのリズム感は落語の影響が大きいでしょうね。子供の頃に近所のおじさんに落語を聞かされて育ちまして、志ん生や円生なんて所に触れてきました。落語のしゃべりとか五七調とか。これは大きな声出しても聞こえますしね」

――― 話を今作に戻そう。冒頭に書いたとおり、この作品は能楽の6作品を下敷きにしているが、それが何かは明らかではない。そこに小野寺の意図はあるのか。

「それぞれのネタ元を空かす必要は無いと思いました。能楽に対して知識が無いとわからないよ、という態度にはしたくなかったし、知っている人が知らない人より楽しめるという状況にはしたくなかったからです。また予習されて先回りされるのも嫌だなと思いまして。むしろ逆の方がいいです。今度の作品を見て、後に能楽で同じ演目を見たときに「この作品だ」と腑に落ちる方がいいですね」

――― 普段よりもキャパシティの小さい劇場で送り出す今回の作品。小品集といってもいいかもしれないが、小野寺が手を抜いているわけではなく普段通りに情報量と密度の高い脚本ができあがるはずだ。そこにむしろ普段よりも大勢の役者達が参加している。

「3本ずつ2チームでの公演なので、単純に人数は倍に、オーディションで選んだ若手が揃いました。ハード(劇場)は違うけれどソフト(作品)は変わりませんから、(作品の密度も)遠慮はしていません。でもみんな若さがあるから面白がってやるんじゃないですか。特別には思っていないと思います。そういった部分では彼等は柔軟だと思います」

――― 先祖返りの劇作家と現代を生きる俳優との組み合わせ。そこに降りてくる普遍の物語。それらがどんなアンサンブルを見せるのかが楽しみだ。

(取材・文&撮影:渡部晋也)

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公演情報

「カノン、頼むから静かにしてくれ」のチラシ画像
架空畳FLIP SIDE #03
カノン、頼むから静かにしてくれ


2019年6月20日 (木) 〜2019年6月23日 (日)
北千住 BUoY (ブイ)
HP:公演ホームページ

10名限定!3,500円 → 3,000円

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