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吉田兄弟

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津軽三味線を引っ張ってきた吉田兄弟が繰り出す新たな一打

師走の神田に新世代奏者が大集合するSHAMI FESへの想いを語る

津軽三味線の兄弟ユニット、吉田兄弟がデビューした時の衝撃は今でも覚えている。礼装である紋付袴でありながら、今時のヘアスタイルで決めた二人がこちらを見つめるジャケットデザイン。迫力ある津軽三味線で理屈抜きにカッコイイと思える演奏。そんな彼らのデビュー作「いぶき」が世に出たことで、にわかに津軽三味線が注目され、同世代の若手奏者が後に続くことになる。そして彼らも活躍した津軽三味線大会も注目を集めることになった。

PROFILE

吉田良一郎(よしだ・りょういちろう)のプロフィール画像

● 吉田良一郎(よしだ・りょういちろう)
1977年7月26日生まれ、北海道登別市出身。
近年は代表的な和楽器(三味線・尺八・箏・太鼓)による新・純邦楽ユニット『WASABI』を始動するなど、幅広く活動。

吉田健一(よしだ・けんいち)のプロフィール画像

● 吉田健一(よしだ・けんいち)
1979年12月16日生まれ、北海道登別市出身。
近年は若手トップクラスの奏者が集結した津軽三味線集団『疾風』をプロデュースも手がける。

吉田兄弟(よしだきょうだい)のプロフィール画像

● 吉田兄弟(よしだきょうだい)
1990年より津軽三味線奏者 初代佐々木孝に師事。1999年アルバム「いぶき」でメジャーデビュー。邦楽界では異例のヒットを記録。2003年の全米デビュー以降、アメリカ・ヨーロッパ・アジア・オセアニア等、世界各国での活動や、国内外問わず様々なアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。

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――― 現代的なビジュアルの二人が、東北、津軽の三味線を感情たっぷりに、しかも伝統曲だけでなく、洋楽とのコラボレーションでもバリバリと弾きまくる。こうして吉田兄弟は名実ともに津軽三味線ブームの波を呼び起こし、それからずっと先頭を走り続けてきた。

健一「僕達が出場した弘前の大会を、レコード会社の方がご覧になっていたんです。丁度学校教育に和楽器を取り入れることが決まった時期でした。ぼくはその当時北海道の実家にいて、デビューの話が出る前に、自分たちで録音してアルバムを作ろうと自主制作で一枚完成させた時期に話をもらいました」

良一郎「そこからは早かったですね。『いぶき』のジャケットのデザインは僕ら自身、一番驚いたと思ってます(笑)。最初は学校公演を沢山やっていました。それがNHKの番組「トップランナー」に出てからがらりと変わりました」

――― 気が付けば来年でデビューから20年。今でも津軽三味線の代表格として活躍の二人だが、この数年はそうした位置に留まらない活動も展開している。兄、良一郎は同世代の尺八、和太鼓、箏の奏者と“WASABI”というグループを結成。学校公演を含む国内での公演の他、海外でも日本文化を紹介する公演を多数行い、弟の健一はさらに彼より若い津軽三味線奏者を集めたグループ“疾風”でプロデューサーとして新たな息吹を育てている。

良一郎「デビュー当時は学校公演が多かったんですが、テレビ出演をきっかけにメディア出演やコンサートが増えた結果、学校を巡ることが減りました。それで10周年をきっかけにまた増やしたいと思っていたんです。また国内外での公演を重ねていくうちに、津軽三味線だけてこ入れしてもダメで、「和」の音楽全体を盛り上げる必要性に行き着いたんです。そこで色々考えて、和太鼓、尺八と津軽三味線の組み合わせはありましたが、箏(琴)との組み合わせはあまりないので、三味線、尺八、太鼓に箏をいれた編成を組んで学校公演を回りたい。そうして組んだのがWASABIなんです。ステージを見聞きした子供達がいろいろな楽器の魅力に触れてもらおう。生の音色を届けようと思ったんです」

健一「疾風は2005年くらいからスタートしました。僕達が若い頃、若手奏者が交流する場所が(津軽三味線の)大会くらいしかなかったんです。あの頃は年4回だったと思いますが、その時でないと顔も合わせない。でも会えばそれなりに交流があって得るものも多いわけですし、そこから新しい何かも生まれると思いました。そこで僕自身大会に足を運んで、出場者の中から3人ピックアップして始めたのが最初です。青森、石川、宮城出身の奏者達で、今回のSHAMI FESに参加するメンバーだと柴田雅人と永村幸治ですね。現在メンバーは11名います。あと津軽三味線の世界に存在する流派の問題もあります。僕は15歳で流派から離れていますが、流派内軋轢やもめ事で辞めてしまった若い子も結構いるんです。そんな才能をもう一度育てたり交流させて、結果として既存の流派ではない流派、いわば疾風という流派を作りたいです。でも流派と言っても僕がそのトップに収まりたいわけではなく、むしろ僕もメンバーに加わりたい(笑)。ただ、吉田兄弟としての活動もありますから、あくまでもプロデューサー的立場で全体を見るという立場にしています」

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――― 兄の良一郎はジャンルを超えて横方向へ。そして弟の健一は世代を繋げていくことで縦方向へ。向きは違えど津軽の、さらには日本の音楽文化を護り、さら に伸ばしていこうという想いは一緒だ。

 そんな想いがもう一つの現実を呼び起こす。東京、神田明神に新しくできる神田明神文化交流館でこの年末に開催されるSHAMI FES 2018がそれだ。


良一郎「これだけ津軽三味線が集まることはあまりないですよ。弟がメインで頑張ってくれています」

健一「疾風のメンバーを中心とした実行委員会で運営しています。僕は既に和楽器を中心としたイベントを5年くらいやっていたのですが、それが一段落したこともあり、今度は津軽三味線に絞って企画しました。津軽の奏者が増えたという背景もあります。ただみんな仕事を待っているような、受け身のタイプが多いのですが、自分からなにかをさせる場所を作りたかったんです」

――― 出演予定は個人団体合わせて15組の津軽奏者達。しかも現在売り出し中の凄腕の若手が網羅され、さらに早稲田、慶応、明治各大学の津軽三味線サークルも参加するという。

「今回はあえて若い世代に絞りました。またSHAMI FES.=三味線のフェスなんで、津軽だけではない他の三味線(細棹、中棹など)が混じってもいいはずですが、今回は津軽に限定しました。また、大学サークルも活気がありますね。例えば早稲田など100人以上の学生さんが参加しています。彼らは疾風や吉田兄弟の曲を新人歓迎コンサートなどで演奏して、ものすごく部員が増えたと言うんです」
 
――― 大学サークルで津軽三味線を学ぶ学生達にとって吉田兄弟は憧れの存在、というわけだ。

良一郎「僕は民謡会に顔を出すことが多いんですけれど、翻弄に年齢層が上がっています。50代後半から上しかいないくらい。それより下は本当に少なくて、凄い危機感を持っていますね。だから大学のサークルというのは状況を打ち破る力になるんじゃないかと思っています。津軽三味線は吉田兄弟がいろいろなチャレンジをしてきましたが、民謡の方はスターも出ていないし、チャレンジもあまりないんですね。唯一、歌手の伊藤多喜雄さんが広めた「よさこいソーラン節」があるくらいですから」

健一「津軽三味線を題材にした人気漫画『ましろのおと』にもご協力頂いているのですが、首都圏だけで運営するのではなく、奏者もお客さんも全国的規模で参加するようなものになって欲しいです。大学での津軽三味線サークルは7つくらいしかありませんが、邦楽サークルは昔から結構多くて、その中で津軽を弾く人も多いようなので、そういった人も掘り起こしていきたいですね」

――― 吉田兄弟のこれまでの活躍を見ていれば、彼らのおかげで津軽三味線の魅力も相当広まったと思いがちだが、良一郎・健一はそんなに呑気に構えているわけではないようだ。

健一「まだまだ危機感でいっぱいですよ。20年目一杯やってきたのに、津軽三味線をまだ見たことない、聴いたことない人って凄く沢山いるんですよ。コンサート客席に「初めて見る人、手を挙げて」とやると7割くらい手が挙がる(笑)、だからこそ下の世代には聴いて欲い。それが日本人としての重要なアイデンティティのひとつだという事を認識して欲しいです。東京オリンピックを控えた今、一番やってみたいことですね。

――― 津軽の歌心を、そして民衆の叫びを込めたような津軽三味線の響き。師走の神田で是非多くの人にそれを楽しんでもらいたい。そういった熱意を二人からひしひしと感じるのだった。

(取材・文&撮影:渡部晋也)

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