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遠藤喜久・佐久間二郎

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故・遠藤六郎を偲んで豪華な演者が揃う一周忌追悼公演

女性の複雑な心のうちが美しい詞章の中で語られる、これぞ能の真骨頂

能楽観世流シテ方・遠藤喜久の主催で2006年から行われている自主公演『遠藤喜久の会』。その第7回は、昨年5月に他界した父・六郎の一周忌追悼公演と銘打ち、人間国宝・野村万作ほか豪華な顔ぶれを迎えて上演される。「どれも単品でお見せできるほど内容の濃い演目ばかりが並びました」と話す遠藤と、メインの演目である「砧(きぬた)」でツレを務める佐久間二郎に、公演に対する思いを聞いた。

PROFILE

遠藤喜久(えんどう・よしひさ)のプロフィール画像

● 遠藤喜久(えんどう・よしひさ)
1962年生まれ。祖父・久六郎、父・六郎、兄・和久ともに能楽師。観世喜之および遠藤六郎に師事し、現在までに1,500公演以上の舞台に立つ。00年に「道成寺」、14年に「安宅 勧進帳 滝流」をそれぞれ初演。能楽初心者のためのワークショップも積極的に行っている。重要無形文化財「能楽」総合認定保持者。

佐久間二郎(さくま・じろう)のプロフィール画像

● 佐久間二郎(さくま・じろう)
1972年生まれ。高校在学中に観世流・中森晶三に師事。卒業後、観世喜之のもとに内弟子として入門。98年に観世流能楽師として認定を受ける。99年に「能楽入門講座 花のみちしるべ」を開講し、地元山梨で能楽の普及に努める。12年に能の会「三曜会」を立ち上げ、年1回の公演を主催している。

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――― 77年の芸歴を能楽一筋に歩んだ遠藤六郎。その追悼公演が行われる矢来能楽堂は、六郎氏が10歳で入門した矢来観世家の本拠地として最も思い出深い場所だ。

遠藤「父は初代観世喜之先生の時代からこの矢来能楽堂で修行し、最期までずっとここで舞台に立っておりましたので、やはり追悼公演をするならここが一番ふさわしいだろうと考えました。今回は、生前にお付き合いのあったたくさんの演者の方と舞台をさせていただこうということでお話をしたところ、皆さんご出演いただけることになって。私にとってはほとんど師匠格の方ばかりですけれども、それが父への手向けとなればいいかなと思っています」

――― 追悼・鎮魂の曲が並ぶ今回の公演。中でも、世阿弥の最高傑作と言われる「砧」は大きな見どころとなる。

遠藤「故郷から都に出たまま帰らぬ夫を想いながら死んでしまう女性を演じるということで、能の世界では50〜60歳くらいになってようやく上演の許可が出るくらいハードルの高い曲です。女性の内面的なものを風情をもって演じるのはとても難しいとされていて、その先には年をとった老女というものが最右翼の秘曲として控えているのですが、能楽師としては最終的にそういうところに向かっていくわけです。最晩年の父からも、いよいよ「砧」の勉強を始めてその先へ向かいなさいというような遺言めいたことを言われましたので、身に余る大役ではありますが、挑戦させていただこうと思いました」
佐久間「今までに何度か「砧」のツレをさせていただいたんですけれども、一番最初のときに諸先輩方から“心得がなっていない”とひどく怒られて、そこで初めてツレの重要さに気づかされました。今回は、私が内弟子のときから大変お世話になった遠藤喜久さんからぜひという話をいただいて、何より六郎先生の追悼公演ということで、未熟ではありますが普段以上に真摯な態度で精一杯つとめさせていただこうと思っております」
遠藤「役柄としてはちょっと面白くて、私は本妻、彼(佐久間)は旦那と一緒に都に行った侍女なんです。侍女といっても単なる下働きなのか、旦那と深い関係があるのかは何も語られていません。それで旦那の帰りをずっと待っている妻のところに、もうすぐ帰るという伝言を持って侍女が戻って来るんですけども、その女はちょっと都の香りをさせていたりして、妻の中に嫉妬の心が芽生えます。砧というのは布のしわを叩いて伸ばす木槌のようなもので、故郷から遠く離れた地で捕虜になった男の耳に妻子が叩く砧の音が聞こえたという中国の故事になぞらえて、帰らぬ夫への想いを込めて妻が砧を打つんです。そこでは苛立ちや悲しみ、愛情などが何重にも織り合わさった情感が、能の非常に美しい詞章の中で語られます。最後には独特の余韻のあるエンディングを迎えるのですが、そういう女性の複雑な心のうちを我々男性が演じていくということで、やはり演者にとってはとても難しい演目ですね」
佐久間「確かに難しい曲ではありますけれども、人間性のすごくコアな部分を鋭く突いた作品で、能を見慣れていない人にも伝わるものはたくさんあると思います。そういった意味では、能の入門としてこういった大曲を観るというのもいいんじゃないでしょうか」


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――― そんな佐久間の言葉の通り、能というジャンルに敷居の高さを感じる人も、最初の一歩を踏み出すことでその面白さに近づけるだろうと2人は言う。

遠藤「最初はどうしても言葉の難しさが壁になるとは思います。でもやっぱり日本語ですから、少しずつ耳馴染んでいただければいい。そして、1回でパッと分かろうとしなくてもいいと思うんですよね。とっかかりは何でも良くて、なんだかよく分からないけど良い風情だとか、衣装の美しさとか、完成された動きとか、演者の声とか、お囃子の音とか……そのあたりを少しずつ感じながら、興味を広げていっていただければと思います。その先に、我々の先祖からずっと培ってきた日本の文化に触れていくチャンスがあるのではないでしょうか」
佐久間「能は観る人の創造力に委ねる部分が大きいのですが、それをはっきりリアルに演じてしまうと、およそ人には気軽に見せられないようなものになってしまうといいますか、限界が生まれてしまう。それをあえて突き放すような見せ方をすることで、いろんな感じ方をしてもらえるのが能だと思うんです。現代は自分で考えて楽しむことになかなか慣れていないところがあると思うんですけれども、何度か観ているうちに、その面白みが伝わってくると思います」
遠藤「恋人同士が、何も話をしないでじっと見つめ合うだけでもなんとなくコミュニケーションをとっていたりしますよね。能にはそういう感覚が割と強いんです。言葉や動きによらない風情というか空気をお互いに感じながら演じることが多いので、そういうところは、案外若い方たちの方が鋭いアンテナを持っているかもしれませんね。今回は「砧」以外の演目もとても面白くて、特に「宗論」という狂言は、ちょっと語弊があるかもしれませんが、現代で言うコントに近い筋立てになっていて、非常に楽しくエキサイトする演目なんです。全体では休憩を含めて約3時間半と少し長めの会になりますが、矢来能楽堂はとにかく小さいので、どの席からでもゆっくりご覧になれます。国の登録無形文化財に指定された古い舞台で、じっくり楽しんでいただければと思います」

(取材・文・撮影:西本 勲)

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