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長田育恵・石村みか

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2012 年初演『青のはて』を元に人間・宮沢賢治をさらに深く掘り下げる

人間の業みたいなものと、人間が生きることに対して与えられている祝福みたいなもの、その両方を描いていきたい

 劇作家・長田育恵を主宰として2009年に旗揚げ公演を行い、繊細かつ創造性の高い作品を創り続けている「てがみ座」。第14回公演となる本作は、2012年上演の『青のはて−銀河鉄道前奏曲−』から5年、同作品を元に大幅な改訂を加え、人間・宮沢賢治をさらに深く掘り下げる。
 『青のはて』では≪死者との別れと再生≫を描き、そして『風紋』では≪何のために生き、死んでいくのか。辿ってきたことに意味はあったのか≫をテーマに、彼が辿ってきた人生を見つめ直す物語になりそうだ。作品を代表して、劇作家・主宰の長田育恵と、てがみ座女優の石村みかに話を聞いた。

PROFILE

長田育恵(おさだ・いくえ)のプロフィール画像

● 長田育恵(おさだ・いくえ)
1977年、東京都出身。てがみ座主宰。早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。日本劇作家協会戯曲セミナー研修課にて井上ひさしに師事。2009年てがみ座を旗揚げし、全公演の脚本を手掛ける。 てがみ座『地を渡る舟』にて第70回文化庁芸術祭演劇部門新人賞受賞。グループる・ばる『蜜柑とユウウツ〜茨木のり子異聞〜』にて第19回鶴屋南北戯曲賞受賞。

石村みか(いしむら・みか)のプロフィール画像

● 石村みか(いしむら・みか)
東京都出身。映画、ドラマ、舞台など幅広く活躍中。劇団大人計画、新国立劇場、MODE、二兎社、THEガジラ、世田谷パブリックシアターほかのプロデュース公演に参加。劇団東京乾電池の劇団員を経て、2013年てがみ座に入団。近年の出演作品に、映画『孤高のメス』、てがみ座『対岸の永遠』、てがみ座『燦々』などがある。

インタビュー写真

1933年がキーワードであり、重要な時代背景となる。この年は時代的に、そして芸術家にも受難の1年だった。

長田「この作品は『青のはて』に対する応答という位置づけの作品になります。『青のはて』は1923年が舞台となるのですが、その年は宮沢賢治が妹のトシを亡くして、そのトシの足跡を追った旅を描いていました。その旅の時に賢治は『銀河鉄道の夜』の構想を得ることになります。作家としてクリエイターとしての人生をこれから歩み始めるぞという、決意の旅だったんです。今回はそれから10年後の世界を描こうと思っています。 ちょうど10年後の1933年を舞台とする応答の作品なんです。賢治は37歳で亡くなりますが、亡くなる年を舞台にしていて、希望に満ちた最初の旅から10年後、あと2ヶ月で死んでしまうあたりなんですけど、何が残せて何が残せなかったのかを検証する作品になりそうです」

――― 『青のはて』から5年ですが、長田さん的にも5年必要だったということですね。

長田「そうですね。初演の時の宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』ありきで作家像を書いていて、今回は作家ではなく、人間の宮沢賢治を書きたいと思っています。彼が名乗らなければ誰も彼を作家とは思わないという状況の中の宮沢賢治。むしろ普通の人よりもたぶん変な人だし、家族を養ってまっとうに生きてるわけでもなくて、周りからは何者だろうと思われている」

石村「一度みんなで集まった時に、宮沢賢治はどういう人なんだろうねという話をしまして、いわゆる一般的なイメージの部分から、更に入り込んで良くも悪くも色々な角度から人間・賢治像を掘り下げて行ったんです。既存の枠を超えたいという想いがあって」

長田「面白いエピソードのひとつとして、宮沢賢治は死ぬまで童貞だったと言われているんですが、死ぬ間際に『禁欲する代わりに何か大きなものを得られると思って信じてきたけれど、何にもならなかった』という手紙を友人へ送っているんです。そういう性欲的な観点からみると、人と触れ合う事や、家族を養う事だったりを一切しないできた、ちょっと孤独を感じたりとかコンプレックスがあったりだとか、素顔の賢治が出てくる部分になってくるかと思うので、そこにも踏み込めたらなと」

――― 宮沢賢治というと、ファンタジーの部分を大きく膨らませて見せる作品が多いですが。

長田「今回はキラキラした所は一切なくやろうかなと思っています(笑)」

――― 人生の終着駅を描くにはとてもパワーが必要だと思うのですが。

長田「そうですね。今回は時代の中で賢治を描きたいと思っています。1933年という年は、あらゆる芸術の息の根が止められた年なんです。小林多喜二が築地署に囚われて虐殺されたのも、演劇史初の新劇の常設劇場「築地小劇場」を創った土方与志(演出家)が日本を脱出して亡命したのも1933年。築地小劇場の女優たちが次の演目をどうしようかと集まって話し合っていただけで、今で言う共謀罪で捕まってしまった時代です。届け出なく集まっていること自体が罪とされ、稽古のために集まるのもダメだし、お客さんが劇場へ行くだけでも検挙されてしまう。
 そして3月には三陸大津波が起こり三陸海岸の村がいくつも壊滅しているんですね。釜石市、花巻から出ている岩手軽便鉄道という『銀河鉄道の夜』のモチーフになった鉄道があるのですが、そこの終着駅が釜石で、その釜石はひどい被害に遭っていて、その半年後に賢治は亡くなります。その最後の半年は『銀河鉄道の夜』を改稿したりして、亡くなるまで手を入れ続けるんです。
 それまでの物語のなかにはブルカニロ博士という賢治を導いてくれるような存在が書き込まれていましたが、最終稿では、その博士の存在が全てカットになっていて、ジョバンニとカンパネルラの旅で、最後はジョバンニだけが残る旅になっている。そういう精神的に孤独に立ち向かう部分だったり、自己犠牲ということについても賢治がどう考えていたのか…… きれいごとではない部分からも人間、宮沢賢治をあぶり出せたらとも思っています」


インタビュー写真

あえて普通の人間たちの中に賢治を匿名の者として突き落としてみたい

長田「絶望の中から『お前はどうするんだ』と、問いかけられる話になればいいなと思っていて。≪生きている人と死んでいる人が約束を交わす≫が『青のはて』のテーマであって、初演では賢治が亡くなったトシと約束を交わす旅だったんですね。代わりに『銀河鉄道の夜』の構想を得て、作家としての人生を歩きだす人生でしたが、今回は、その約束の結果がどうなったかわからない。
 そして3月の大津波で死者の存在がまだ濃厚な地域で、同じように死んでいった人を看取っていく人たちと出会って、賢治自身がどう反応していくのかも見てみたい。あえて普通の人間たちの中に賢治を匿名の者として突き落としてみたいんです」

石村「この切り口の舞台作品はあまり無いですよね!」

長田「今まで最晩年を書いたものはあまりないと思います」

石村「賢治は取り上げられてますが、時代背景と最晩年は聞いたことはないですよね。身内と身内ではない死、時代背景全部がリンクしていくような」

長田「力強い作品ができたら」

――― 賢治の他の登場人物はどんな役になりそうでしょうか?

長田「役どころはまだこれからなんです(苦笑)みかさんは、たぶん旦那さんを亡くした釜石の奥さんになるだろうなと思っています。でも旦那さんの身体は津波から戻って来ていない。その場所を離れられない人だろうなと。賢治と関わりを持つ女性が人生の中で何人かいたんですが、その女性像もちょっとだけまとわせたいなと」

石村「恋する女性が何人かいたんだ!」

長田「大陸に看護婦で行ってしまう人がいたのよ。亡くなった旦那さんを待っていて、そこに見切りをつけて従軍看護婦として行くという選択をする女性になるといいかなと」

石村「憧れの人になるのかな」


タイトルの意味

――― 『風紋』というタイトルに込められた想いについて。

長田「人間が生きた証をどうやって残せるんだろうと思った時に、風紋という風が砂地に刻む模様が浮かびました。一瞬だけ形を留めても、すぐにまた次の一瞬で消えてしまう物。でも、消えてしまったからと言って、存在しなかったことになるのだろうかっていうと、それは違う。見えなくなってもそこには何かがあった、という軌跡のようなものを表現したいなと思いました。風で変わっていく不変で留めることができない物だったりしますが、その一瞬一瞬に何かしら人間の命みたいに残るものがあれば」

――― はかなくも繰り返し跡がつけられていく…

長田「最後のシーンは釜石の砂浜にしたいという構想があります」

石村「きれいごとにしたくないっていうのがとてもわかるから、その辺りで面白い登場人物たちが出てくるんだろうなって」

インタビュー写真

長田「当時は貧困が凄くて、都市で失業して田舎に帰ってきたけど田舎はもっと酷いという時代で。釜石と花巻をつなぐ岩手軽便鉄道の間にあるポイントを舞台に描けたらと思っています。 
 今はつながっていますが当時は途中に峠があって、峠越えは徒歩でする時代だったんです。歩いて5キロの距離なんですが、この距離ですら病気の賢治は歩けなくて、そのあたりの集落に泊まっている設定を考えています。その峠を越えて行くか、花巻の実家へ戻るか…… 病気なんだから早く帰って休むべきという時期なんですが。砕石工場に勤めていたので、肥料になる石灰がカバンに入っているのですが、その地域の人たちには石灰なんか買う余裕もないんです。それなのにカバンにはそれが入っているわけですよ。それをぶちまけて帰ればいいのに歩くことを選択するんですよね」

――― チラシにある≪もしもこの道がほんとうでないなら いま、まっすぐに知らせてほしい≫という言葉は前回の公演から引き継いでいますが、様々な『歩み』もひとつのテーマなんですね。

長田「ずっと何かになりたくて、どこかに行きつきたかった、人生は旅だ、という印象が強い人ですよね」

石村「前回は一点に向かう希望が描かれていたけど、今回は引き戻されたり迷ったり『揺らぎ』が多くでる作品になりそうですよね」


作家・長田育恵とは、稽古に向かって

――― 石村さんにとって長田さんはどんな方ですか?

石村「毎回書くものは変わって行きますが、根底に流れているものは変わっていません。文体とかはどんどん変わっていく印象がありますね。今は外のオファーも多くその度にそぎ落とされて、10年前から思っていた創作のエキスがどんどん濃縮されている感じがします。言葉をたくさん使って表現していたことが、極端ですが一言二言になる時もあったり、最近は長田らしさがより出てるなと他の作品を読んだ時に感じました。沢山の言葉を使わなくても、『あ、育ちゃんだ』とわかる表現があり、センテンスがより強くなっているなぁと感じます。より心に響いてきますよね。
 その言葉を色々な役者さんが身体に落として、いかに同じセリフが彩を持つかって、人によって全然変わるんです。真面目な一言でもおかしくなったり、そのおかしくなったことが悲しくなって心に響くとか、そんな作業をこれからしていきます。そういう俳優さんでないとたぶんできないと思います。『台本の文字のまま取ってもらったんじゃ困る』ってよく言われるんですけど、やる俳優は批評性も持ちつつ演じていけたら、広がりがあるんじゃないかなと思いますね」

長田「文字以外で伝わってくる要素をすごく重視していて」

石村「脚本と俳優、そして演出との闘いだと思うんですよね」


インタビュー写真

――― 特に今回は読み取ってもらいたいヒダが多くなりそうですね。

長田「今年はたくさんの作品を書いていて、色々な情報が自分の中では別々でなくてつながっているんです。以前別の作品で、人間の業についてや1933年という時代について考えたことがあり、その地平があって、今回の賢治につながっている。でも劇団員たちは公演時に集まるので、まだ作品の事を知らせていなくて、社会主義者って何?てなるのではないかな、と(苦笑)」

石村「大丈夫です、みんなに今日聞いたことを知らせておきます!1933年を先取りするようにと(笑)俳優が文字を通して覚えることはできても、その後に沁みこんでいくとか、グルーヴとして身体でわかるまでって実はとても時間がかかるんですよ」

長田「賢治の話をやりますと言われて、賢治の伝記を読むよりは、それよりも、大事な人が亡くなった時にどう感じるかとか、自分が余命宣告をされた時にどうするとか、自分なりにそういう事について考えてもらう方が俳優としての作業は近いのかな」

石村「当事者として考えて行くことだよね」

――― みんなが賢治になる訳ではないですからね。

長田「そうなんです、本当にお腹が空くってどういうことか、そういうことを考える方が役作りになるのかなと」

石村「俳優間で今日の話を共有し合ってやっていきます」

長田「彼女とはとても信頼感があって、本を渡したら後はお願いします!と」


キービジュアルについて

――― 墨絵師の茂本ヒデキチさんによるイラストはとてもインパクトがありますね。

長田「『燦々-さんさん-』という公演を観にきてくださっていて、劇団として作品を気にいってくださいました。茂本さんの墨絵は、この1枚を書くのに100枚くらい書いているそうで、デジタル修正ができない一発勝負のものなんですよね。その時の空気感だったり、この一回しかない芸術で、賢治の軌跡という事を含めてコンセプトにぴったりだなと。まさか引き受けていただけるとは!芸術家特有の閉鎖的なところはなく、とてもオープンでアスリートっぽい方でした。このチラシは本当に評判がよくて、褒めていただくことが多いんです」

――― では最後にメッセージをお願いします。

石村「こんな人間らしい賢治だったという驚きをまず与えたい。そして自分に照らし合わせて生きる何かのヒントを与えられる力強い作品になれば」

長田「何らかの希望や光を信じていたと思うんですよね。人間の業みたいなものと、それでも人間が生きることに対して与えられている祝福みたいなもの、その両方を描いていきたいですね」



(取材・文&撮影:谷中理音)


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