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アマヤドリ

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2017年、宮城・兵庫・愛知・東京という新たな劇場空間に挑むアマヤドリ。

そのスタートとして「悪と自由」三部作から「集団の悪」を描いた作品を再演

2014年にスケールの異なる「悪」を描き上演された「悪と自由」の三部作の中から、振り込め詐欺(特殊詐欺)を題材に「集団の悪」を描いた二作目『非常の階段』を、四都市ツアー公演として再演するアマヤドリ。現代日本が抱える様々なモチーフを描いて来た 広田淳一と、今回の舞台で、中心となる人物を演じる 渡邉圭介に話を聞いた。

PROFILE

広田淳一(ひろた・じゅんいち) のプロフィール画像

● 広田淳一(ひろた・じゅんいち)
1978年生まれ、東京都出身。2001年、東京大学在学中に「ひょっとこ乱舞」を旗揚げ。全作品で脚本・演出を担当し、しばしば出演。2011年『ロクな死にかた』および2012年『うれしい悲鳴』で劇作家協会新人戯曲賞優秀賞を受賞。2012年に「アマヤドリ」へ改名して再スタートを切った。

 渡邉圭介(わたなべ・けいすけ) のプロフィール画像

● 渡邉圭介(わたなべ・けいすけ)
1987年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部の卒業制作で劇団員の中村早香と共演したことをきっかけに、2010年、ひょっとこ乱舞『水』に参加。以降、劇団員となる。外部作品への出演には、悪い芝居『カナヅチ女、夜泳ぐ』(2012年)や前田司郎氏作・演出の『生きてるものはいないのか』(2014年)などがあり、最近ではドラマを中心とした映像作品にも活躍の場を広げている。

インタビュー写真

――― この『非常の階段』は、2014年度に上演された三部作の中の第二作だそうですね。その三部作は「悪と自由」がテーマだそうですが、こうしたテーマを当時選んだ理由というのは何だったんでしょうか?

広田「わかりやすい事件をモデルにしたということはないんですけど、僕はわりと、人の善意を書いてしまいがちだなと思いまして。それで、ちゃんと人間の悪の部分を書きたいと思ったことからスタートしました。同時に自由というテーマを選んだのは、自由ってポジティブなイメージだけれど、個人の自由が際限なく拡大していけば、その自由をめぐって衝突したり、殺人だって起こってしまうわけで。誰かの自由を踏みにじることもあるって自覚がないと、悪が生まれてしまうんじゃないかって思ったのがきっかけです」

――― それは、2017年になっても強く実感できる気がします。太宰治の「斜陽」をモデルにしたともありましたが。

広田「家族の崩壊を書こうと思ったんです。『斜陽』だと、明治維新から戦前まで続いてきた近代社会が崩壊していったことを書いているんですけど、現代社会における崩壊を考えたらなんだろうと。例えば、お父さんとお母さんが喧嘩して家族が崩壊していくっていうよりも、もっと社会的な家族が崩壊しているのではないかと。家族の厚みがなくなったことで、お父さんお母さんが無理だったら、代わりにおじいちゃんが子供の面倒みようとかってことができなくなって、すぐにネグレクトにいってしまう。そういう今の家族というものの崩壊を『斜陽』の崩壊に重ねながら描いていけたらなと思ったんです」

――― 今回の舞台では、渡邉さんはどのような役になるのでしょうか。

渡邉「僕の役は、やっぱり家族が崩壊していて、その結果、アウトローな人たちとつきあうことになり、ある事件をきっかけに、親戚のおじさんの家に転がり込む役ですね。つながりがないことが不安だから、友達を大切にしようと思うあまり、気が付いたら自分自身が空洞化してしまって、何もないことに気づく役なんです。自分自身にもそういうところがあるから身につまされますね」

――― そんな主人公が、どこかに居場所を見つけたりできるようになったりするのでしょうか。

広田「そうですね。社会が作った集団って、企業だったら利潤を生むことが目的だし、劇団だったら公演を成功させることが目的じゃないですか。でも、家族ってわかりやすい目的がないし、存在していること自体が目的の共同体なんですよね。その家族という共同体と、そのほかの共同体の温度差を感じる場面もあるんじゃないかなって」

――― チラシにある『世の中には二種類の人間がいるんです。感動をくれるバカと、タダのバカ』という言葉が気になったのですが…

広田「効率で割り切れないものってあると思うんです。例えば親子関係だったら、子供のできが悪くても交換するとかってことはないし必然性がある。でも、恋愛にしたって夫婦にしたって、幻想で保たれている部分も大きくて、交換可能だったりしますよね。特に東京みたいな大都会だったら、人も多いので、合わなかったら交換すればいいって思うことが実際にもあるかもしれない。でも、効率的じゃないし、不合理だけど、それでも人と関わることでしか感動につながらないんじゃないかなって思って」


インタビュー写真

――― そのことと対照的に、先ほど渡邉さんは、“つながりを大切にしようとしすぎると、自分自身が空洞化していると感じたことがある”と仰ってましたが。

渡邉「僕はずっと友達がいなくて。昔から居場所がほしいなという焦りがあったので、大学時代にはコミュニティにいさせてもらうために、どうやったら馴染めるか頑張って試行錯誤していたときがあったんですね。そうやって人に合わせていたら、言動だけじゃなくて、思考すらも合わせていて、ふと気づくと自分が見えなくなってたんです」

――― 今はもう大丈夫なんですか?

渡邉「なんとか劇団にも7年も居させていただいて」

広田「そういや、男の劇団員で一番長いんじゃない?」

渡邉「実はそうなんですよ。それで、劇団入って3年目くらいに、広田さんから『あなたは自分の言葉に掬われないように気を付けなさい』って言われたんですよ」

――― それはどういうことだったのでしょうか?

渡邉「試行錯誤した結果、いろんなコミュニティに入れるようになったのはいいことだし、いろんな人から言葉をもらえるから、言葉に不自由することはない。でも、自分の言葉や考えがないと、どこまで行っても借り物になってしまうよと言われたんです。それで、すごく納得したんですけど、今話してると、それすらも人からもらった言葉だったって(笑)」

広田「そんなこと言ってたの?覚えてなかったな(笑)」

渡邉「そういう話をされた後に、この舞台ができたので、いろんなことを自分のことのように感じましたね」

広田「実はあてがきというか、彼のパーソナリティを意図的に反映させたところもあったんですよ。でも、その辺は現代的な悩みなのかもしれないですね。特に若いときは、恋人や友人関係も含めて、自分の周りにどんな人がいるのかが大事に思えて、そこから離れないようにするために、一生懸命合わせないとと思ってしまって。キョロ充とかって言葉もそうですね」

渡邉「僕も今思い返せば大学のときはキョロ充だったんですけど、無理してるから、だんだん頑張れなくなってくるんですよ。それで、半年くらいでサークルを辞めてしまって。でも、大学ってまだ自由度があったんで、僕と同じように頑張れなくなってる人を見つけることができたんです。トイレに行ったら、コッペパン食べてた人がいて、その人とはいまだに仲のいい友達なんです」

広田「一時期同居してたもんね。今何やってるの?」

渡邉「制作会社でプロデューサーやってますね」

広田「彼の便所飯の話なんかしていいの(笑)」

――― でも、頑張れなくなったあとにトイレで知り合った人と今でも友達で、お互い頑張ってるって、けっこういい話ですよね。渡邉さんは、そういう自分の中にあるものを広田さんにあてがきされて、恥ずかしいとかそういう気持ちにはならなかったんですか?

渡邉「恥ずかしいってことはないんですけど、つらいっすよね(笑)。自分では昔の嫌な出来事に蓋をしていて、忘れているところがあるんですけど、それを掘り起こされてる感じはします」

――― でも、そういう渡邉さんの話を聞いたら、これは舞台を見ないといけないって気になってきました。最後に“この舞台のここを見てほしい”という点について教えてください。

渡邉「僕の演じる役は、物語の中心になっているとは思うんですけど、周りの人たちのことも見てほしいなって思うんです。悲劇が起こると、自分ばかりを見てしまうけど、周りの人だって、いろいろ複雑な感情で動いてるんだよってことが、見てくださる人に伝わればいいなと思いますね」

広田「アマヤドリは15周年目を終えて、新たに16年目を迎えるんですけど、2014年の三部作からこの『非常の階段』を選んて再演するってことは、これからのアマヤドリの起点になるテーマだと思ったからなんですね。だから、その始まりをぜひ見にきてもらえたらと思います」


(取材・文&撮影:西森路代)

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