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石山雄三

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「世界標準」の振付家・石山雄三5年ぶりの日本公演

「共有できない臨場感」を突きつける「無音で轟音」のダンス

2月、DDD青山クロスシアターで上演される『0dB』(ゼロ・デシベル)は、近年、主にヨーロッパをはじめとした海外で活動している振付家・石山雄三が5年ぶりに日本で発表する作品となる。昨年10月には、そのプロトタイプを六本木アートナイト2016で上演し、500名以上の観客を動員。観客もダンサーも共に高音質のワイヤレスヘッドホンを装着し、端から見れば全くの無音の中で進行する作品は大きな話題となり、本公演にも注目が集まっている。

PROFILE

石山雄三(いしやま・ゆうぞう)のプロフィール画像

● 石山雄三(いしやま・ゆうぞう)
パフォーマンス・メディア・アーティスト/コレオグラファー。
アーティスト・コレクティブ "石山雄三/A.P.I." を中心として、コンピューティングやデジタルテクノロジーが「当たり前のこと」となった今の時代にフィットするような、新しい「身体表現言語」の開発を続けている。
ダンス作品『QWERTY』は、フランスのデジタルアート・フェスティバル "Bains Numériques" や、南米最大級のダンス・フェスティバル、リオデジャネイロの "Panorama Festival" 等に招聘されている。
これまで国内外のプロジェクトに多数参加してきており、新国立劇場バレエ団にもゲスト・コレオグラファーとして招かれている。

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――― まず、この『0dB』のコンセプト、どういうところから生まれたものなのかを教えてください。

 今、自分の周りや同世代のアーティストたちを見回すと、みんな閉塞感じゃないですけど、下を向いているというか、諦めのようなものが蔓延してるみたいだなぁと思ったんですね、まず。予算がないからいい仕事ができないとか、いい場所がないからいいショウができないとか、さらに言えば、有名なアーティストとタッグを組まないとショウって、今、成功しないんじゃないの?とか。自分たちのアートに対する想いとか、接してる社会、世界に対しても諦めてる。でも、それって本当にそう?「思い込み」じゃないの?と。そういう部分を、ここでもう一度問い直してみる、疑問を投げかけてみるっていうのは重要なんじゃないかなぁと思いまして。

 もう一つあります。音楽業界ではCDが売れなくなってきて、コンサートやライブ・イベント的なものに活路を見出しているみたいなんですよね。なぜなら "臨場感" はデジタル化されないからだと。でもみなさんが信じているそれは、本当にそれほど強固でソリッドなものなの? 金科玉条のごとく思い込んでるだけじゃないの?っていうふうに、 "臨場感" に今一度、揺さぶりをかけてみる必要もあるかなぁと思いまして。
『0dB』では、高音質のワイヤレスヘッドホンをつけて、間近でリッチな音は体感出来るんですが、観客やスタッフ全員は分断された状態で舞台に接することになります。そうなると、じゃあ "臨場感" って何なんだろうね、同じ体験してるかどうかも分からないよね、ってことになるんじゃないかと。

 「思い込み」に対しては、視点をもう少しずらして考え直してみません?って本当に思っています。まず、みなさん、アートを日常生活とかけ離れたものとしてとらえ過ぎなんじゃないかなと。そうではなく、アートは日常生活の延長線上にあるんですよ。このプロジェクトでは、自分たちのリビングルームで行われていることも、ちょっとディレクションされ視点を変えると、こういうふうにも見えてくるんだという形で作品を提示します。そうすることで、その部分が明快に示せるんじゃないかなと思ってるんですけどね。

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――― ジャンルを問わず、舞台作品ならではの良さを語る時に、その場に居合わせた者だけが味わえる "一体感" "共通体験" を挙げる人は少なくないと思います。観客同士、同じものを体験しているか分からないというのは、舞台作品そのものの価値を根底から覆すというか、疑問を呈してますよね?

 今、"共感" というものがいろんなものを語る上で、大手を振って歩いてるような気がするんですけど。この10-15年は特にそんな感じがしますが、「共感できる、だから素晴らしい」とか。でも僕は、共感できるってそんなにすごいの?って思ったりもするんです。それよりも「分からない、自分の中に共通項も何もないけど、とにかくスゴい」という方が、よっぽど印象に残るかなぁと。「分か」っちゃうものは、すぐ忘れちゃったりしますしね。「自分が理解も出来ない」から面白い、フレッシュなんだっていうことは厳然とありますしね。僕自身は "一体感" みたいなことをあんまり考えたことがなくて、舞台を語る時は、基本的には美しいなぁ、格好いいなぁ、でいいんじゃないかと思ってますよ。「分かる/分からない」ではなく。

 野外のロックコンサートみたいなのに行くと、ボーカルの人が「お前らは一人じゃない!だから一緒だ!」みたいなことを叫んで、うおー!ってみんな盛り上がったりしてますけどね。でも冷静に考えると、I’m aloneとyou are not alone をつなげちゃうのがよく分かんないんですよ。急に仲間だとか「一体感」とやらが出てきて一緒だ!ってなるのは、人をナメてんじゃないの?って思います。「自分と君は一緒だよね」? え?一緒じゃないじゃん、みんな独立した個人じゃん、だから個人個人違うのが当たり前で、尊重し合わなきゃだめじゃんと。だから本当に、"同調圧力" なんていい言葉を生み出したもんだなぁと思いますね。お前空気読めないね、って話になったとしても、君と僕は感覚も違うんだから、違うようにとらえてるかもしれないのを前提で話さないとだめじゃん、って。性別も年齢も育ってきた環境も違う。違うと思うからこそリスペクトするんですし。


――― 観客それぞれ、個人対舞台、で成立しちゃってるんじゃないか、ということですか?

ちょっと違いますね。そこまで踏み込んでないんですよ。"共感" だ "臨場感" だっていうところに、疑問符を投げかけてみませんかということであって、結論の一歩手前の「?」で持ち帰ってもらう感じなんです。自分たちの「思い込み」に対して見方を少しだけ変えてみること、本当にそうか?って疑問符を投げかけるっていうこと。こうじゃないと舞台って成立しないんじゃないか?っていうのも自分の「思い込み」で、それが自分をうつむかせてる原因になってるんじゃないの?みたいなこともありますね。

「この舞台は何を表現してるの?」とかもよく聞かれますけど、そういう人って、舞台やアートワークがメッセージを載せるコンテナだと思ってるっぽいんですよね。アートは何かを表現してるっていう、思い込んだストラクチャーみたいなものの中で考える癖が、みなさんついちゃってるんでしょうね。まず結論、ではなく、一歩手前の疑問ってものを投げかけるのがアートなんじゃん?そうでもない?っていう話をよくしますけどね。

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――― あくまで "疑問を投げかける" ということですね、分かりました。ところで10月の六本木アートナイトでのプロトタイプ上演では、どんな反応がありましたか?

 面白かった、すごいとか、かなりポジティブな反応をもらったんで、やっぱりそうなんだ、よかったよかったって(笑)。自分としても、やる前から、これははっきりとした反応が来るんじゃないかっていう手ごたえみたいなものを感じてましたし。


――― 『0dB』に限らず、石山さんの作品は身体表現とデジタルテクノロジーが融合したものになっていますが、作品を作るプロセスといいますか、どのような過程を経て作品ができていくのでしょう?例えば、身体表現、人間の動きと、視覚効果は一緒にイメージされているものなのですか?

 よく聞かれるので答え慣れてきましたけど(笑)、自分は聞かれるまで、それらが分かれてるって考えたこともなかったんですよ。
 アートの中で始まりと終わりがあるものをTime Based Artって言うらしいんですけどね。ダンスも音楽も映像もTime Based Artということで、ほぼ同じようにとらえる考え方があるみたいでして。そういう意味で言うと、僕は時間の流れをデザインするそのカテゴリーのものを、一貫して作ってきてるんですよね。その概念を聞いた時には、本当に合点が行きましたもん。自分も、映像や音楽やダンスが頭の中で分かれてないんですよ。フォーメーション図みたいなものが頭に浮かんで、こんな形の舞台で、って配置していって、それを絵で描くこともあるし、アニメーションソフトで動かしてみて、これが綺麗かなぁなんて思いながら見て、じゃあその動いていく時にどういったポーズをとるといいのかなぁなんて思ったりとか。それだけなんです。

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――― そのイメージを、例えば技術的に実現できるのか?みたいなことは考えながら進めますか?

 最近、若いアーティストと、欲を鍛えるっていう話をよくしてるんですよ。what do you want? 結局お前何したいの?ってことです。「世界のリング」に上がれるのは、徹頭徹尾アクセルを踏み抜いた人だけなんですよ。「リング」とか例えがアレですけどね(笑)。普通の人は明日のことを考えて、踏む足を緩めてもいいとは思いますよ。でも僕らは、何しようとしてるのかっていうと、やっぱり世界のアートフィールドで、作品を流通させたいんじゃないの?って。よくプロのアーティストのことを24hours artistって言いますが、自分は1日3-4時間アートをやってれば満足なんだって人で「世界のリング」へ上がった人、僕は見たことないですね。みんな、やり尽くしてもやり尽くしても、まだクオリティの高みを追求しまくってる。そういうとんでもないフィールドでどうこうすることを考えたら、これできるかな?じゃなくて、「やりたい」がまず先で、どうやったらそこに辿り着けるかしか考えないんじゃないですかね。

 まぁもちろん、こんなことできたら面白いけど今の技術だとお金かかりすぎちゃうか、じゃあもうちょっと考えてみようか、みたいに寝かせてるアイデアとか、単にエフェクティブで面白いからってだけのアイデアもいっぱいありますけどね。


――― そのアイデアたちは、いつかできたらいいかなって感じで持っておく?

 そういうこともあるんですけど、現代アート、コンテンポラリーアートとして何かをやる以上、今、実現しなきゃout of date になってしまう題材ってあると思うんですよね。自分たちはコンテンポラリーアート、コンテンポラリーなダンスをやってるアーティストなので、そこは意識的になるべきだと思うし、やっぱり自分も考えてますよ。時代との呼吸の中で、「今、やりたい」ってことを優先してしまいますね。
 ロックミュージック、ポップミュージックが何で、今、クラシックに比べて流通してるかっていうと、同時代性というか、「今の私たちのこと歌ってるから」ってことになるんじゃないかと思うんです。
 だから、助成金を申請しようとか理想的な小屋を押さえようってことで公演が2年先になるよりかは、ライブハウスでいいから3ヶ月後にやろうぜ、半年後にやろうぜっていうような勢いを全開にしようかなと思いまして。できないっていうのは大抵、お金の問題と、勝手に思い込んでるルーチンのスケジューリングの問題なんです。そのほとんどが「思い込み」で、本当はやろうと思えば全然できるんです。だから、今、語らねばならない題材、今、きちんと目の前に示さなければいけないアイデアを、今やりましょうと。だって、お金は借りられるけど時間は借りられないですもん。もちろん、リミットはありますけどね(笑)。

 この『0dB』は、裏側にすごいテクニシャンがいて、何かスペシャルなことやってるから格好いいんだ、じゃないんです。プロセスは、ほぼガラス張りです。繰り返しになりますが、自分たちの日常って、視点をちょっとずらして、ディレクションというものを加えると、素晴らしいショウにもなるんです。ワイヤレスヘッドホンも一般化してきたからこそ使う訳で、大学の研究室をそのまま持ってくるような、これ見よがしなテクノロジー・デモンストレーションみたいなのは、もう飽きちゃったんです。巨大な資本や特殊なテクノロジーがなくても、面白いもの、「その先のダンス」は全然作れるっていうことを、実際に示せると思います。机上の空論ではなくね。


(取材・文:土屋美緒/撮影:友澤綾乃)

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