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西田大輔

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新釈・長篠の戦い! わずか1行の年表に隠された男たちのドラマがここに。

自分が面白いと思うものをつくりたい。西田大輔、21 年目の原点回帰。

自らが主宰する劇団・ANDENDLESSを動員1万超の人気劇団に育て上げ、舞台『戦国BASARA』シリーズなど2.5次元舞台を数多く手がけるヒットメーカー・西田大輔。エンターテイメントの荒野を開拓してきた旗手が、昨年3月、新たな演劇プロジェクトを始動させた。それが、DisGOONieだ。自身が最も愛する映画『グーニーズ』になぞらえ、たった1隻の船で未知なる大海原へと乗り出した西田は、矢継ぎ早に4本の作品を発表。そしてこの6月、DisGOONieとしては初の完全新作『Sin of Sleeping Snow』の上演が決まった。20年のキャリアを誇る実力者が、なぜ今、ゼロから冒険の旅へ出たのか。果てなき大海を突き進む西田の現在地を探った。

PROFILE

西田大輔(にしだ・だいすけ)のプロフィール画像

● 西田大輔(にしだ・だいすけ)
1976年11月13日生まれ。東京都出身。脚本家、演出家、俳優。95年、日本大学芸術学部演劇学科演技コースに入学。そこで出会った仲間たちと共に、96年、AND ENDLESSを結成。主宰と脚本・演出を担い、『FANTASISTA』『美しの水』など数々のヒット作を生む。また、舞台『戦国BASARA』シリーズや『もののふ白き虎』など劇団以外の作品も多数手がける。15年3月、新たな創造の場として、DisGOONieを設立。

● DisGOONie(ディスグーニー)
西田大輔が「創ることは出逢うこと」をテーマに、演劇界のみならず広い視野でのエンターテイメント界で俳優たちとの新たな冒険を目指し、2015年に設立。11月、旗揚げ記念公演『From Chester Copperpot』で怒濤の3作同時上演を果たす。 16年2月、『ジーザス・クライスト・サムライスター〜殿中でござる!〜』を上演。

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「劇団」という集団に、ずっと憧れていた。

「僕がもともと劇団をつくったのも、映画『グーニーズ』のような集団に憧れがあったから。何もないところから集まった人たちで一緒に冒険をしようというのが、演劇を創造するきっかけだった気がします。このDisGOONieは、自分にとっての原点回帰。もう一度、信頼の置ける仲間と自分が本当にやりたかったことをやるために、新しい場所をつくる必要があったんです」

――― DisGOONie誕生の経緯を、西田は穏やかな口調でそう説明する。この言葉の真意を探るには、彼のキャリアを紐解かなければならない。
1976年、東京で生まれた西田は小さい頃から冒険モノが大好きだった。『トム・ソーヤーの冒険』に憧れ、『グーニーズ』に心ときめかせた少年は、大学入学を機に踏み入れた演劇の世界で、仲間と共に自分たちだけの帆を上げる決意をした。船の名はANDENDLESS。そこには名だたる演劇界の先輩たちへの敬意と憧れがあった。


「キャラメルボックスや第三舞台といった先輩たちが、自分たちのつくりたいものをつくって、どんどん上へのぼっていくさまがとにかくカッコよくって。劇団の持つ特有の空気感に惹かれて、自分たちもやってみたいと思うようになったんです」

――― 処女作は、吸血鬼が主人公の物語。「今思うと非常に拙い作品ですが」と照れ笑いする目には、作品への愛情がにじむ。

「旗揚げ公演を終えた時はもう本当に気持ち良かった。作品をつくる過程で自分の周りがひとつになっていくことに感動して。そこからはもう24時間ずっと演劇のことばかり考えていましたね」

――― 当時19歳だった西田は、そこから精力的に公演を重ね、27歳で念願の紀伊國屋ホールへ進出。疾風怒濤の勢いで演劇界にその名を知らしめていった。だが、結成から10年、30歳を迎えて、西田の胸の内に変化が起きた。

「公演を繰り返していくうちに、いつの間にか芝居をつくることがルーティーンになっているような気がして。このまま続けて面白いものをつくることができるのか真面目に考えました。書く中身が見つからなかったわけじゃない。書く意味が見つけられなかったんです」


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もう今は完全に19歳に戻った気持ちです。

――― 西田はずっと「旗を持つ人間が、ずっと同じところにいてはいけないと思っていた」と振り返る。停滞こそが、一番の危機だった。だからこそ、走り続けるために、慣れ親しんだ甲板から降りることを決意した。以降、劇団活動を継続しながら、外部作品にも意欲的にチャレンジ。舞台『戦国BASARA』シリーズとの出会いを機に、西田は一層の飛躍を遂げる。

「外の作品をいろいろやるようになって、改めて膨らんできたのが、いわゆるプロデュースも含めて、ビジネスとしてすべて自分で責任をとれるものがやってみたいという想いでした。単に舞台だけではなく、劇場に入ってから帰るまでを自分のイメージする世界に染めてみたかった。それに、2.5次元の舞台を通じて、たくさんのいい俳優たちと出会えたことで、彼らともっとオリジナルの作品をやってみたいという気持ちもあった。そのための新しいチームが、このDisGOONieなんです」

――― 「人生最大の挑戦」と位置付けた新たな船の出航は、2015年11月。過去の人気作品を前代未聞の3本立てで一挙上演し、演劇界の度肝を抜いた。

「まずは出航なんだから派手にいきたかったし、何より1本だけだとどうしても俳優を選ばざるを得ない状況だったんです。やっぱり最初はみんなと一緒にやりたかった。だったら、3本まとめてやろうかと(笑)。それに毛色の違う3本を同時にやることが、僕の中にあった“やろうと思えば何だってできるんだ”って想いの証明になると思ったのもあります。まあ、もう二度とやらないですけどね、ああいうことは(笑)」


――― 衝動のすべてをぶつけた若さ迸る過去作品と、39歳になって再び向き合う経験は、西田を生まれ変わらせた。書く意味を見失った小劇場時代。作品づくりと興行のはざまで悩むこともあった商業演劇時代。そのすべてを超えて、今、男の眼差しは、演劇を始めたあの頃のように眩しく輝いている。

「もう今は完全に19歳に戻った気持ちです。芝居の準備をすること、芝居をつくることが大変だけど面白いなって思える。学生のみなさんと同じですよ。きっと今なら彼らと一緒にお酒を飲んでも同じテンションで盛り上がれると思います(笑)」



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自分がやりたかったことを、もう一度始めている。

――― これまでは自身の過去作品を新たなキャストで「生まれ変わらせる」ことに情熱を注いできた西田が、いよいよ新作へと挑戦する。西田が選んだ題材は、天正3年、長篠の戦い。最強と謳われた武田四天王と織田信長の激闘を描く。

「武田家と言えば風林火山の言葉が有名です。実はこの言葉にはまだ先があって、“知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し”と続くんです。この1行をキーに、誰も知らない武田四天王と織田信長の戦いを描きたいなと考えています」

――― 長篠の戦いと言えば、織田信長が劇的な勝利をおさめたことで知られている。年表にすればわずか1行の出来事。そこに西田は独自の解釈を盛り込む。

「主演の鈴木拡樹くんは、一緒に作品をつくるのは今回が初めて。持っている世界があれだけ色濃く出せる俳優はなかなかいないですよね。鈴木くんを含めて、今回は真ん中をとれる俳優がたくさん集まると、どんな化学反応を起こすのかが見たくてキャスティングをしました。この顔ぶれは、きっと僕以外できない。二度と集まらないメンバーが揃ったという自負があります」

――― 「演劇と航海は似ている」と西田は言う。演者も観客も、1隻の船を共にする乗組員だ。それぞれの船着場である者は船を降り、また別の者が船に乗り、出会いと別れを繰り返しながら、見果てぬ宝島を目指していく。

「今、実感しているのは、自分がやりたかったことをもう一度始めているんだなということ。気持ちは演劇を始めた頃と何も変わっていないんですよね。自分たちが面白いと思うものに、観客のみなさんが足を運んで観てくださって、その熱量がまた新たな熱量を生む。そのことを僕はまだ諦めていないんですよ。船を出す以上、その熱量をこれからもっと大きくしていきたいし、本当に大きな野望を言えば一つの時代をつくる可能性だってあると思っています。言葉にすると、恥ずかしいですけどね(笑)」

――― 21年目にして、気づいた。自分の中にあるものは、何一つ変わっていないと。初めて劇場の板を踏んだその日から変わらず、西田は無謀な冒険者のままだ。

「僕は、演劇は人の人生を変えられるほどのものではないと思っています。そんな大それたものじゃない。でも、明日の扉ではあると思う。だからこそ、劇作家である以上、僕はこれからもその扉の意味を考え続けたいと思います」

映画『グーニーズ』の主人公・マイキーは自宅の屋根裏で、伝説の大海賊・片目のウィリーの遺した宝の地図を発見した。あの胸の高鳴りを、西田は今も忘れていない。大冒険に魅せられた少年は、大人になった今も冒険の旅を続けている。自分だけの地図を持って、愛しき仲間たちの手を握って――


(取材・文:横川良明 撮影:吉田耕一郎)


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