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ファインモーション

ファインモーション

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

ファインモーション(欧字名:Fine Motion、1999年1月27日 - )は、日本の競走馬、繁殖牝馬。

アイルランドで生まれ、日本で調教された外国産馬である。2002年のJRA賞最優秀3歳牝馬。デビューから無敗の6連勝で秋華賞・エリザベス女王杯を制した。

経歴

誕生

1999年1月27日、アイルランドのバロンズタウンスタッド&オーペンデールにて、父がデインヒルの牝馬(後のファインモーション)が誕生。ジャパンカップやブリーダーズカップ・ターフ、チャンピオンステークスなど日欧米のGI競走6勝し、1997年度のヨーロッパカルティエ賞最優秀古馬のピルサドスキー(父:ポリッシュプレセデント)の半妹となった。世界的オーナーブリーダーのクールモアグループが購入し、競走馬としてデビューする予定であった。

輸入の背景

栗東トレーニングセンター所属の調教師である伊藤雄二は、競走馬発掘のために複数回アイルランドに渡っており、輸入に導いた1993年生まれのアラバンサ(父:エルグランセニョール)は、伊藤自身で管理して巴賞 (OP特別) 優勝やステイヤーズステークス(GII)2着などの成績を残していた。

1999年4月、伊藤はアラバンサを生産したバロンズタウンスタッドを再び訪れ、生後数か月のファインモーションと初めて対面し、これまでの管理馬を上回る能力があると評価し、伊藤はクールモアと掛け合った。クールモアが優秀な種牡馬を揃えることに注力し、牝馬を軽視する傾向にあったため、取引に応じ日本に渡ることが決定した。

北海道浦河郡浦河町の伏木田牧場は、1949年 (昭和24年)に生産した牝馬のタカハタが、朝日杯3歳ステークスなど32戦26勝。皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、優駿牝馬(オークス)2着となるなど活躍。繁殖牝馬としても、孫に1974年の東京障害特別を制したカシハタ、1975年の北海道3歳ステークスを制したカミイチという重賞優勝馬が産まれるなど、伏木田牧場の主軸牝系となっていた。多くの牧場が、その時々に流行している種牡馬に合う繁殖牝馬を、外国から盛んに導入していたものの、30年以上伏木田牧場は実施することなかった。活躍する生産馬が少なくなり、1986年の鳴尾記念(GII)を制したロンスパークを最後に重賞から遠のくなど、牧場にいるタカハタから分岐した主軸牝系は時代遅れになっていた。

アイルランドで伊藤が見出した2歳のファインモーションは、購入に際して1億円以上と高額に設定された。伊藤は伏木田に、将来の繁殖牝馬としての購入を持ち掛け、実物を見ることなく、ビデオと写真を確認してのみで購入を決意した。伏木田牧場会長の伏木田達男は、「いい時代はずっと続くわけじゃない。だから派手にやるな」という父の信条に応え続けていた。しかし達男は、ファインモーションを今後の基軸繁殖牝馬として考え「(繁殖牝馬として)いい種牡馬を配合していけば何頭かの産駒で元が取れる」と判断し、達男の長男で社長の達之は「(競走馬として)オープンまで行って重賞のひとつでも取ってくれるのなら、そんなに高い買い物でもない」という認識であった。

デビューまで

2001年5月18日、ファインモーションは、武田ステーブルに移動。代表の武田茂男に、伊藤はわざわざ検疫所にスタッフ派遣を要請するなど、手間をかけていた。3か月の着地検疫期間では、武田ステーブル隣の日進牧場のダートコースで調教が行われた。検疫を終えた8月には、軽種馬育成調教センター(BTC)直線700メートルの坂路にて調教が行われた。武田ステーブルでは、場長の延島太恵志のみが調教に騎乗した。他が、坂路を一回上がるだけで息が上がってしまうが、2本3本することができた。ちょっとした外傷と軽い熱発の治療は2回のみと健康で順調に育成された。取材に訪れた村本浩平は、こう記している。

競走馬名は、達男の孫、達之の息子である修によって「ファインモーション」と名付けられた。第2候補「マーメイドパール」第3候補「ビューティフルデイ」を用意していたが、馬名審査に合格し、「ファインモーション」として競走馬デビューすることが決定した。9月13日、武田ステーブルを出て伊藤雄二厩舎に移動。調教の様子を見た岡部幸雄は「こんな馬と競走〔ママ〕する相手は可哀想だね」と証言するなど、入厩した栗東トレーニングセンターでも評判となった。担当厩務員は、かつてエアグルーヴを担当した田中一征であった。

競走馬時代

2 - 3歳(2001 - 02年)

2001年12月1日、阪神競馬場の新馬戦(芝2000メートル)に武豊が騎乗してデビュー。武はデビュー前にまたがったとき、その力強さから牝馬とは思わず、伊藤調教師に「先生、これでダービーに行きましょう」と言ったほどであった。新馬戦はスタートから先頭に立ち、後続に4馬身の差をつけて逃げ切り勝利した。逃げたにも関わらず、上がり3ハロンのタイムは出走メンバー中最速を記録した。例年関西の有力馬が出走する阪神芝2000メートルの新馬戦で牡馬相手に楽勝したことから大きな注目を集め、武は「海外で競馬をさせたい」と発言。陣営はフランス1000ギニー、フランスオークスへの出走登録までしていた。外国産馬のためにクラシック出走権はなく、またデインヒル産駒の特徴である立派な上体と、脚元の未熟さを兼ね備えていたため、伊藤は馬体の充実するのは4歳であると判断。フランス遠征もなく、放牧に出された。

2002年8月、函館競馬場の500万円以下(芝2000メートル)で復帰。騎手は松永幹夫に乗り替わりとなる。伊藤は65パーセントの出来としていたが、好位から見せムチのみで5馬身差で2連勝。続いて伊藤いわく75 %の出来で、8月25日の古馬混合1000万下競走・阿寒湖特別(芝2600メートル)に出走し、好位から追われることなく5馬身差で3連勝とした。


 
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