CLOSE

CLOSE

ジャンル別公演チケット

エリア別公演チケット

条件別公演チケット

黒柳徹子

黒柳徹子

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、本名同じ、1933年〈昭和8年〉8月9日 - )は、日本の女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。愛称はトットちゃん、チャック。所属事務所は有限会社吉田名保美事務所。日本芸術院会員。

人物

日本でテレビの放送を開始した初日からテレビ出演を続ける(1953年2月1日)、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。冠番組の『徹子の部屋』では、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、記録更新中である。幅広い層が観るバラエティ番組に数多く出演しており、大御所同士だけでなく若手芸人とのトークも好評であるため、21世紀においても国民的人気を維持している。

『徹子の部屋』や『NHK紅白歌合戦』などの司会業、累計800万部を記録し 、戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者、長年ユニセフ親善大使を務めていることで知られる。

テレビ番組だけでなく、舞台に出演したり、コンサートなどのイベントで司会を務めることも多い。新しい物好きで、2010年代以降ではスマートフォンとフィーチャーフォン(ガラケー)の2台を持ち、デコレーションを施した上で、SNSも活用し、特に福山雅治に勧められて始めたInstagramでは美的センスを活かして芸術作品のような映える画像を公開しており、10代から20代の若年女性にも好評である。黒柳も従来のテレビではありえなかった視聴者との直接の対話を新鮮に感じており、コメントもすべて読んでいる。

略歴

生い立ち

東京府東京市赤坂区乃木坂に生まれ、父の音楽の練習場が洗足池近くに移ったため、旧東急目蒲線洗足駅に近い大森区北千束町で育った。母が徹子を妊娠していた時、両親は男児が生まれるものと思い込んでおり、「徹」という名前を考えていたが、実際に生まれたのは女児だったため、やむを得ず「子」をつけて「徹子」にしたというエピソードがある。「黒柳」とサインを書くときには、柳の異体字である「?」(木偏に夘)を使用する。

父は音楽家で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱(旧姓:田口)、母はエッセイストの黒柳朝(旧姓:門山)。弟には幼くして亡くなった黒柳明兒、ヴァイオリニストの黒柳紀明、妹には元バレリーナで美容師に転身したエッセイストの黒柳眞理がいる。また、伯父には松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村や、日本ニュース社のニューヨーク支社長やアメリカ・メトロニュースの極東代表を務めた田口修治がいる。

幼少期は「問題児」とされたため、尋常小学校を1年生の時に退学させられ、トモエ学園1年生に転校する。太平洋戦争末期の1945年3月の東京大空襲をきっかけに、以前に北海道の母の実家から帰る汽車で青森の農家と隣り合わせた縁で青森県三戸郡の諏訪ノ平に疎開する。

1945年8月の終戦後に東京に戻り、トモエ学園、香蘭女学校中等科・高等科、東洋音楽専門学校(現在の東京音楽大学)声楽科卒業。

女優として

音楽学校卒業後オペラ歌手にはなれないと分かり、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立って、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、履歴書を持参すべきなのに郵送してNHKから注意されたり、筆記試験の会場を間違えて遅刻した上で、問題が分からず答案用紙の裏まで長所を書き連ねた上で、消しゴムで答案用紙を汚損するなどのトラブルに見舞われながら、約6,000人の応募者の中から第6次までの審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれた。

NHK放送劇団では五期生で、同期には友部光子、里見京子、横山道代、幸田弘子ら。

放送劇団入社時の面接では「親に言ったらこんなみっともない仕事を(するのはやめろと言われた)…」、「こういう世界は騙す人が多いから気をつけろという話を聞く」などのマイナスな発言を繰り返したのにもかかわらず、採用に至った。


 
取扱中の公演・チケット情報
現在弊社が取り扱う公演はありません.