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正司花江

正司花江

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

かしまし娘(かしましむすめ)は、元松竹芸能所属の姉妹音曲漫才トリオ。

道頓堀角座がホームグラウンドで、松竹芸能の看板芸人だった。グループの名付け親は当時北野劇場の支配人だった角倉節朗(後の関西テレビ編成局長)。最初はカタカナ表記のカシマシ娘だったが、北野劇場が間違えて看板をひらがなで書いてしまい、この方が語感が良いとそのままになった。

漫才トリオとしてのかしまし娘は1981年を最後に休止し、現在は各々ピン・タレント・女優として活動しているが、不定期に喜劇の舞台公演を行ったり、テレビ番組やCMなどで3人揃って出演することがあり、ユニットとしては2024年に歌江が亡くなるまで健在であった。

2018年には第21回上方演芸の殿堂入りが決まった。

メンバー

元は四人姉妹。花江の2歳年下の四女・利子は生まれながらにして病気がちで足が不自由であったためにメンバー入りせず、芸人にもならなかった。父親が旅回り一座の座長だったため、出生地は全て異なる。また母親は四女・利子が生まれてから産後の肥立ちが悪く、肺と心臓の結核で入退院を繰り返し、1945年2月14日に亡くなった。三姉妹ともに大阪府吹田市在住。歩いて2分以内という近所にそれぞれ邸宅を構えていたが、歌江は晩年箕面市のマンションに移っていた。

正司歌江(しょうじ うたえ、1929年8月13日 - (2024-01-19) 2024年1月19日(94歳没))
(三味線)長女、北海道歌志内市生まれ。本名は平井歌江。
若手の頃、大阪のことが右も左もわからなかった時期にミスワカナに食事に誘ってもらったり、一緒に銭湯に行ったりと世話になった。芸の素質を見込まれ弟子に誘われもしたが、親から貰った大事な正司歌江の名を捨てるのが嫌だったため辞退した。また、「ワカナ先生のところへ行くと先生以上にえらくなられへん」と言って断ったという。
かしまし娘休止後は他のプロダクションに所属していたが、2007年に当時の所属事務所アクターズプロモーションが倒産し、同年6月に松竹社長との会談で21年ぶりに松竹芸能復帰。2007年に客演したWAHAHA本舗に、2009年5月1日より正式入団。息子は『欽ちゃんの仮装大賞』などを手がけるプロデューサーの平井秀和。2022年頃より体調を崩し療養していたが、2024年1月19日、老衰のため大阪府内の自宅で死去した。94歳没。
正司照枝(しょうじ てるえ、 (1933-03-15) 1933年3月15日(91歳))
(リズムギター)次女、北海道小樽市生まれ。本名は正司照江。
さち子プロ→石井光三オフィス→SHUプロモーション所属。かしまし娘活動休止となった1981年、それまでの正司照江から正司照恵へ改名し、松竹新喜劇に参加。1987年に退団・芸名も現在のものとする。テレビ番組に出た衣装は二度と着ないようにしている。若い頃は諸先輩(ミスワカナ等)から口酸っぱく衣装を大事にしろと言われてきたがお金がなく、衣装(着物)を私服にしていた。足袋が破れても縫って使用していたこともあったという。悪声をネタにされ、ソロで歌わせてもらえない。息子の正司宏行は石井光三オフィス取締役→SHUプロモーション代表取締役社長で、磯野貴理子の元マネージャー・元夫。またエリック・クラプトンのファンであり来日時には必ずコンサートに行く。
正司花江(しょうじ はなえ、 (1936-05-04) 1936年5月4日(87歳))
(リードギター)三女、秋田県秋田市生まれ。本名は月村花江。
さち子プロ→石井光三オフィス→SHUプロモーション所属。かしまし娘休止後は女優・タレントとして活動のほか、司会なども行う。終戦は樺太(サハリン)で迎えている。ドサ回りで育ったため、方言がおかしく朝日放送専属時代に番組プロデューサーから嗜められた。後に別のプロデューサーと結婚。駒ひかる(OSKの男役スター、後の三代目桂米朝夫人)のファン。

来歴

父は尺八吹きから安来節を歌うなど多芸であった、母は出雲高子という芸名の追分唄いで、一家で旅回りの一座を組んでいた。三人とも3歳で初舞台を踏まされる(2023年で芸歴91年、87年、84年になる)。歌江は座員だった都上英二に漫才を仕込まれた。1941年頃、歌江・照江が名古屋の寄席に出ていたころ神戸の岡田芸能社のスカウト新興キネマ演芸部の手見せに呼ばれ晴れて所属になり「天才少女姉妹漫才コンビ」として売り出される、幼い花江は別の一座に預けられ、少女歌手として旅回りしていた。

1948年、歌江がヒロポン中毒のため転地療養、その後かつて巡業した先の興行主のつてを頼り富山に向かったため、旅回り一座に残っていた花江を呼び戻し、照枝・花江で新コンビ結成。兄貴分の夢路いとし・喜味こいしらから指導を受け、戎橋松竹や名古屋の富士劇場などで歌謡漫才をしていたが、照枝が結核で入院、花江は東京に出ていた横山ホットブラザーズの世話になる。歌江は母と組んだり、別に紹介された素人同然の男性や巴家寅の子(のちの今喜多代)、東文章らと組む。


 
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