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石川修司

石川修司

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

石川 修司(いしかわ しゅうじ、1975年9月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。岩手県奥州市(旧:胆沢郡前沢町)出身。血液型B型。

経歴

DDTプロレスリング

2002年
DDTプロレスリングの入門テストを受験したが準備不足が祟って不合格。だが当時の社長であった三和亮は社会人経験のある石川を信用して仮練習生のようなポジションで石川をDDTに置き、会計などの受付業務を1年ほど任せた。
2003年
石川は受付係をやっていたため練習は個人でしかできなかったが、若手のレベルアップということである時JWPの道場を借りて週2回の合同練習が始まる。先輩たちの怪我や退団が相次ぎ、レスラーの数が足りなくなったことで高木三四郎から「お前は馬場さんに似てるから馬場さんのマネをしろ」と言われて6月5日にClub atomで開催された橋本友彦とのダークマッチでプレデビュー。
6月15日、DDT横浜赤レンガ倉庫大会において対スーパー宇宙パワー戦でデビュー。この時については「怖かったことしか覚えてません。自分には馬場さんのマネ以外何にもなかったので」と195cmの長身という武器を持ちながらも自分のプロレスがどんなものであるのかが見えずしばらくもがき続けた。
2004年
元ネオ・レディース 篠社長率いるS-DDTに加担し、本隊と対立する。S-DDT崩壊後はポイズン澤田JULIEに改造されて蛇光教団に入信し、戦闘員「蛇イアント」となる。

ユニオンプロレス

2005年
血清を飲んでポイズン澤田とともに真人間へと戻り、再旗揚げすることとなったユニオンプロレスに移籍。あとからデビューした柿本大地やマサ高梨にタイトル奪取において先を越されるなどした石川は、これをきっかけにより深くプロレスについて考える時間を多く持つようになった。
2006年
ポイズン澤田と共に空手軍や旧ユニオン軍と抗争を展開。バチバチへも参戦を始めたことで、着実に地力を上げる。ただ強いだけでなく、見ているファンに痛みが伝わるようなプロレスが自分の目指すプロレスとして形になっていった。
2007年
ポイズン澤田がユニオンを離脱。ユニオンの新エースとして、佐々木恭介を中心とするSTYLE-E軍や、ZERO1-MAX 佐々木義人 (プロレスラー)と抗争を繰り広げる。またDDTにもハワイ軍(aWo)の一員で"ハワイの戦いの神"というギミックのマスクマンKooとして参戦。第24代KO-D無差別級王者となるなど、躍進の年となった。
12月31日、プロレスサミットに出場し、房総ボーイ雷斗とのタッグで高山善廣、野橋真実組と対戦。
2008年

 
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