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三浦大輔

三浦大輔

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

三浦 大輔(みうら だいすけ、1973年12月25日 - )は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、監督。現在は横浜DeNAベイスターズの監督を務める。

愛称は「ハマの番長」。

俳優の三浦剛は実弟、サンケイスポーツ競馬担当記者の三浦凪沙は長女。

概要

横浜大洋ホエールズへ入団した1992年以降、後継球団の横浜ベイスターズ・横浜DeNAベイスターズを通じて一貫して横浜でプレーしたフランチャイズ・プレイヤーである。また「NPBの現役最年長選手および、横浜大洋への在籍経験を持つ最後の選手」として迎えた2016年には「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録を達成し、同年シーズン限りで現役を引退(詳細後述)。アテネオリンピック野球の銅メダリスト。

マネジメントはエイベックス・マネジメント。また、日本中央競馬会登録の馬主でもある。

引退後は、横浜DeNAベイスターズの球団スペシャルアドバイザーを経て、2019年より一軍投手コーチを務め、2020年シーズンは二軍監督。2021年からは同球団の一軍監督を務める。

経歴

プロ入り前

橿原市立真菅北小学校時代、2人の弟と共に「真北リトルズ」で野球を始める。幼少期は大阪市玉造で過ごし、実家の花屋の配達で岡田彰布宅を訪れた縁があり、地元でずば抜けた才能を持っていた三浦を当時から岡田は評価していた。なお、花屋を経営していた三浦の父が岡田の後援会「岡田会」の主要メンバーであった関係から、幼少の頃から三浦は岡田と顔見知りであった。横浜入団後の2008年に三浦が国内FA権の行使を宣言した際には、岡田がかつて在籍した阪神タイガースから横浜を上回る条件で移籍を打診された。

橿原中学校時代は「北大和シニア」に所属。中学時代まではサード兼投手の8番バッターであまり目立つ存在ではなかった。足も遅く、中学で野球を辞めようかと考えていた事もあったが、3年生のときにコントロールを褒められるようになり、チームのエースが辞めたのをきっかけに投手に定着する。

高田商業高校に進学。高校までずっと一緒に野球をやってきた2学年下の弟の剛曰く中学までは大した活躍をしていなかったが、この頃から速い球を投げるようになったという。高校時代は小学校の頃からの練習漬けに嫌気が差し、一ヶ月ほどズル休みをしたこともあったが、監督やチームメイトに引き止められ復帰した。1991年の県大会はエースで4番を務め、春・夏ともに決勝で谷口功一率いる天理高校に敗れ甲子園出場は叶わなかった。

1991年11月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、横浜大洋ホエールズから6位指名を受けて入団。背番号は「46」。担当スカウトは高松延次。

大洋・横浜・DeNA時代

1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)に、3番手投手として一軍デビュー。「横浜大洋ホエールズ」としては最後の公式戦で、篠塚和典から三振を奪うなど打者6人を完璧に抑えた。

1993年9月4日の対広島東洋カープ戦(北九州市民球場)でプロ初勝利・初完投を記録。


 
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