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湯浅芳子

湯浅芳子

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

湯浅 芳子(ゆあさ よしこ、1896年12月7日 - 1990年10月24日)は、日本のロシア文学翻訳者。

略歴

京都府京都市出身。裕福な商家に生まれる。17歳で日本女子大学英文予科に入学したが、中退してロシア文学者の昇曙夢に師事、ロシア文学とロシア語を学びはじめる。作家の田村俊子にファンレターを送ったのをきっかけに、1915年から田村との交流が始まる。田村は湯浅からの書簡をほとんどそまま使って小説「緑色」を執筆。愛国婦人会機関誌『愛国婦人』の編集に従事する中で、ロシア文学の翻訳・紹介を志す。24歳のとき京都の芸妓・北村セイと同棲。

その後、野上弥生子の紹介で宮本百合子(当時は中条百合子)と知り合い、1924年から当時の夫と離婚した百合子と共同生活を送る。1927年から1930年にかけて、百合子とともに当時のソ連に滞在。モスクワ大学の聴講生となり、チェーホフやゴーリキーを研究。この時期のことは百合子の『伸子』『二つの庭』『道標』に詳しい。

帰国後は、ロシア・ソビエト文学の翻訳紹介を行い、21世紀まで読み継がれる翻訳を発表した。

1947年12月から1年間、婦人民主クラブ機関紙『婦人民主新聞』の編集長も務めた。

百合子とは、彼女の再婚を期に共同生活を断ち、その後は深い関係にはいたらなかった。百合子は後年、湯浅との関係について「互の感情生活も極めて複雑であった」と夫婦にも似た関係であったことを書いている。湯浅は晩年の1978年になって、自分宛の百合子書簡を編集、発表し、百合子の全集が刊行される前の時期の研究の深化に寄与した。同性愛者であり、百合子をはじめとして何人かの女性と同棲生活を送ったが、異性と恋愛関係になることは最後までなかった(瀬戸内寂聴「孤高の人」によれば処女のまま生涯を終えたという)。生涯独身を貫いたこと(ただし晩年は、茶人で尾崎一雄夫人の異母姉である山原鶴が事実上のパートナーだった)で、フェミニズムの立場からの注目も集まっている。

晩年は浜松の老人ホームで暮らした。同年10月、93歳で没した。死後、彼女の功績を記念し、外国戯曲の優れた翻訳・脚色・上演を行った者に贈られる湯浅芳子賞が作られた。

死去の8か月前、沢部仁美が晩年の湯浅に取材し書き上げた『百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春』が刊行され、百合子との関係を含む半生が詳しく紹介された。

1997年に生前の湯浅と交流があった瀬戸内寂聴による回想評伝『孤高の人』が出版された。2008年には百合子との往復書簡が刊行された。2010年には映画『百合子、ダスヴィダーニヤ』(浜野佐知監督)が制作された。

著書

  • 『いっぴき狼』(筑摩書房) 1966年
  • 『狼いまだ老いず』(筑摩書房) 1973年
  • 『百合子の手紙』(宮本百合子著、湯浅芳子編、筑摩書房) 1978年
  • 『往復書簡 宮本百合子と湯浅芳子』(黒澤亜里子編著、翰林書房) 2008年

主な翻訳

  • 『私は愛す』(アウデエンコ、ナウカ社) 1936年
  • 『ゴロヴリヨフ家の人々』(ニコライ・シチェードリン、世界文学社) 1948年、のち岩波文庫(上・下) 1975年

アントン・チェーホフ


 
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