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ノゾエ征爾

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岸田國士賞受賞から3年。ノゾエ征爾の模索と到達。

飛べないことくらい、わかっている。もがく人間を描いた“嘆きの喜劇”。

PROFILE

ノゾエ征爾(のぞえ・せいじのプロフィール画像

● ノゾエ征爾(のぞえ・せいじ
1975年7月2日生まれ。岡山県出身。8歳までアメリカで育ち、日米7校の小学校を転々とした経験を持つ。青山学院大学在学中にENBUゼミナール第1期生として松尾スズキに師事。99年、劇団はえぎわを旗揚げ。以降、全作品の劇作・演出を手がける他、俳優としても出演する。11年、『春々』で第55回岸田國士戯曲賞候補にノミネート。12年、『◯◯トアル風景』で第56回岸田國士戯曲賞受賞

● 劇団はえぎわ
1999年、ノゾエ征爾を中心に始動。01年に劇団化。完璧ではない世の中で一生懸命に生きる人々を愛情深い眼差しで描くその作風は“嘆きの喜劇”と評される。10年、『ガラパコスパコス』で黒板だけでつくられた空間にチョークで小道具や台詞の一部を書きつける演出が話題に。今、最も観たい劇団のひとつとして、演劇ファンから熱い注目を集めている。

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人間の無様さこそが、いとおしい。

―― 2012年、第56回岸田國士戯曲賞受賞。今、次代の演劇界をリードする存在として期待を寄せられる劇作家・演出家のノゾエ征爾。自らが主宰する劇団はえぎわの最新作『飛ぶひと』は、2月末、広島での上演を経て、この4月、メンバーを大幅に入れ替え、下北沢で改めて上演される。

「広島には1ヶ月強、滞在しました。キャストは、ほぼ初めて一緒にやる人ばかり。彼らと一緒に稽古をして、彼らを見ながらホンを書きました。そういう意味で、『飛ぶひと』は彼らだからこそできた作品です。これまではえぎわでは劇団員の当て書きでやってきました。劇団員じゃない人と一緒に書きながら稽古をするというのは今回が初めて。おかげで普段の自分とは違う作品に行き着いたなという実感はあります。ずっとはえぎわを観てきた方にとっても、新鮮な印象を持ってもらえるんじゃないでしょうか」

――作品の惹句は、「それでもやはり、飛べないことくらいわかっている。」という一文で結ばれる。ノゾエが今、この新作で描こうとしているものとは。
「“飛ぶ”イコール“飛躍する”とか“更新する”っていう意味合いが強い。だけど“飛ぶ”ということは“落ちる”ということでもある。僕はいつも人の弱さだとか上手くいかないところにいちばん人間味を感じるんです。今回も、それぞれの場面でもがきながら落ちていく人たちの群像劇を描きたいと思っています」

――落ちることがわかっているなら、最初から飛ばなければいい。だが、人は飛ぶことから抗えはしない。
「それが人間の性(さが)というもの。進化なんてしなけりゃいいってどこかで思いながらも、どうしてもそれを求めてしまう。でも僕はそれを全否定するつもりはなくて。矛盾し続けることこそ、人間らしさでもある。結局感じたいのは、それでも人って素敵だよねっていうこと。それでもがんばっていかないとねっていうことを、観た人にも感じてもらえたら」


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矛盾の中で、ただもがき続ける。
――劇作家にとっての芥川賞である岸田國士戯曲賞に輝き、注目度は一層増した。演劇界の将来を背負って立つという周囲の期待を、ノゾエ自身はどう受け止めているのだろうか。
「応えたいという気持ちもあるし、裏切りたいって気持ちもある。いろんな二面性と戦っている気持ちが大きいです。もっとストライクゾーンの広い作品にしたい気持ちもあれば、そこまで媚びてたまるかって気持ちもある。みなさんそうでしょうけど、いろんな葛藤があります」

――今、ノゾエの世界観は、危ういバランスの上で成り立っている。その秤を、敢えて傾けるとしたら果たしてどちらか。
「最近思うのは、結局、ストライクゾーンを広げることがいちばんハードルが高いんだなということ。それはどこかで創作家としての個人的な趣味趣向を削ることでもあるから。より多くの人に楽しんでもらいたいって気持ちは常にあります。でもそれがいちばん難しいですね。何万人も集客するような集団って一方ではすごく否定されたりするじゃないですか。でも、あれってすごいことなんだぞって最近になってわかってきました」

――年齢を重ね、取り巻く環境も変化した。今、ノゾエの中で、静かに、けれど確かに、いろんなものが変わりつつある。
「すごく普通のことなんですけど、僕は演劇の、生の人たちの活気が好きなんだなって最近改めて気づいて。人と人が一緒につくりあげて、それを生で観てくれる人がいて、そこで生まれる劇場の空気感を楽しんでほしい。物語をすごく楽しんでほしいわけじゃないというか、物語にこだわる部分もあるけど、物語自体を信用していない自分もいるんです。矛盾するんですけどね、物語がしっかりしているから、いい空気も生まれるわけなんで。でも、決められた時間、決められた空間に人が集まって、やる側も見る側も限定された空間で娯楽を一緒に楽しむっていうその場所を、僕は今、支持しています」



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それでも媚びない、とノゾエは決めた。

――「昔はもっとクリエイターとして突飛なことやってやりたいとかエゴだけでやってた部分もあった」と振り返る。「演劇っていいな」と噛みしめるその背景には、ライフワークとして取り組む高齢者施設への訪問公演があった。
「おじいちゃんおばあちゃんの日常にこっちから飛び込んでいって、30分くらいの演劇を提示して、その30分間、僕らみんながひとつになれる。そこで人と人との間からしか生まれない活気みたいなものを肌で感じたときから、自分自身の考え方も変わりはじめたんだと思います」

――つまり、誰よりももがいているのは、他ならぬノゾエ自身だ。
「多くに人に観てもらうためにもわかりやすくしなきゃと思う反面、ここをわかりやすくしちゃったら自分じゃなくていいなっていう、そんなエゴとの戦いはずっとありますね」

――自身も今年で40歳。「いつまでも実験ばかりしてはいられない」と肝に銘じる。
「お客さんを増やしていくためにも、響く層の幅を広げなきゃいけない。今はとにかくその力をつけることが僕の課題。本当にすごいと思いますよ、マンモス劇団って。僕の師匠である松尾(スズキ)さんなんて見てても、やっぱりすごい。若い頃は何もわかっていなくて、がんばったら追いつけるかなって思ってたけれど、追いつくどころかあの人はどんどん先に行ってる。だから僕もはえぎわを継続して踏ん張っていきたい。まだまだいろんな障壁はあるんでしょうけど、波を上下しながらも、その波そのものをぐっと上げていけたら」

――取材のためのレコーダーはここで停止した。だが、このあと、実はこんなエピソードがある。帰り支度を整える段になって、ふとノゾエは改まって「やっぱり媚びたくないです」と付け足したのだ。

「自分の作品って何だろうってことを突きつめて突きつめて、それで多くのお客さんに観てもらえるようになりたい」

――そう控えめに決意表明をした。作品性と興行性。自らの才能や周囲の視線。いろんなものに絡めとられながら、ノゾエはもがく。もがき続ける。もがくノゾエがどんな答えを出すのか。それを確認するために、私たちは劇場へ足を運ぶのかもしれない。

(取材・文&撮影:横川良明)

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