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松井 周・杉原邦生

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劇団サンプルの松井周、KUNIOの杉原邦生が、過疎の集落を舞台に希望と絶望を描く。

KAATでしか見られない新たなコンビの誕生を!

一つの集落に他者、異物が入ってきた時、人間の集団心理と個々の人間の心の動きはどう変化するのかというテーマに、個性のまったく違う演出家と劇作家が挑む。11月の稽古開始を控えた松井周、杉原邦生に話を聞いた。

PROFILE

松井周(まつい・しゅう)のプロフィール画像

● 松井周(まつい・しゅう)
1972年10月5日生まれ、東京都出身。劇作家、演出家、俳優。1996年に平田オリザ率いる劇団「青年団」に入団。その後、2007年に劇団「サンプル」を結成。2011年「自慢の息子」で第55回岸田國士戯曲賞受賞。『十九歳のジェイコブ』(演出:松本雄吉)など、脚本提供も数多く行っているほか、俳優としてもハイバイ『おとこたち』などに出演している

杉原邦生(すぎはら・くにお)のプロフィール画像

● 杉原邦生(すぎはら・くにお)
1982年東京生まれ、神奈川県茅ケ崎育ち。演出家、舞台美術家。04年、プロデュース公演カンパニー“KUNIO”を立ち上げる。06年より企画員として木ノ下歌舞伎にも参加。08年より、こまばアゴラ劇場が主催する舞台芸術フェスティバル<サミット>ディレクターに2年間就任。近作にKUNIO11『ハムレット』、木ノ下歌舞伎『黒塚』『勧進帳』などがある。新世代の旗手のひとりとして演劇界から注目を集め続けている。

――― この企画はどのように始まったのでしょうか?

杉原「去年、KAATでKUNIO12『TATAMI』(脚本:柴幸男)という作品を上演したとき、KAATの芸術監督の白井晃さんが見てくださったんです。その後、“KAATで若手の演出家を応援する企画をやっていきたいので、杉原さんどうですか”と声をかけていただきました。そこで、せっかくの機会だから、今までやりたかったけど実現できていないことをやろうと思いました。
 その一つが、大学生のときに見て衝撃を受けた映画『ドッグヴィル』(ラース・フォン・トリアー監督/2003年)のようなオリジナル作品をつくるというプランだったんです。『ドッグヴィル』は映画の中に演劇的な手法が強烈に取り入れられている作品だったので、映画でこれをやられたら演劇は負けちゃうなとその当時直感的に思って、いつかこういう作品をつくって演劇側から逆襲じゃないですけど(笑)、僕なりの応答をしたいと思っていたんです」

――― 松井さんに脚本をお願いしたのは、どういういきさつからなのでしょう。

杉原「そもそも僕は演出家で作家ではないから、いつかこの作品プランにぴったりの作家に出会えたらやろうと思っていたんです。そんな中、ここ数年もし脚本をお願いするなら松井さんが良いんじゃないかと思うようになっていて。それで、今回の企画が持ち上がって松井さんにお話ししたら、松井さんも『ドッグヴィル』がお好きだということで、すぐに意気投合したんです」

――― 松井さんは『ドッグヴィル』のどのようなところが好きだったのですか。

松井「僕も、閉鎖的な集落を舞台にしたいなと思っていたんですけど、『ドッグヴィル』でそれをやっていて、しかも演劇的だったんですね。だからこそ、こういう作品に手を出すのは怖いなと思っていたんです。でも、自分が演出じゃなくて、誰かが演出してくれるなら話は別で、杉原くんだったらなんとかしてくれるだろうと……」

――― 誰かが演出してくれるのなら……というのはどういうことなのでしょうか。

松井「『ドッグヴィル』の演出を見ちゃうと、あそこから逃げるのが大変という気がしたんです。でも、杉原くんが演出したいというのなら、僕と違う見方で僕の脚本を捉えることができるだろうし、僕が考えつかない演出をするだろうし、面白い化学変化がおこるんじゃないかなと思ったんです」

――― 杉原さんは、演出をすることに対して、松井さんのように映画からの影響を意識することはなかったのですか?

杉原「『ドッグヴィル』から影響を受けたわけじゃないんですけど、僕も、もともと舞台美術でほとんど具象のものをおかないし、ドアの枠だけあってそこで出入りするような演出も多いので、改めて考えると『ドッグヴィル』の演出と自分の演出にそう遠くないものを感じたんです。だから逆に、もし『ドッグヴィル』と同じような演出になったとしても、まんま真似したって思われないかなと思ったんです(笑)。『似ちゃったら似ちゃったでいっか』みたいな、ある種の開き直りがあるので気にならないですね」

――― 「杉原さんは、松井さんの脚本のねちっこいところを期待している」という記事も拝見しました。

杉原「なんか、ねちっこいじゃないですか(笑)。松井さんの作品を観ると、人間のどうしてもそうならざるを得ない部分、何かにまとわりついて離れなくなってしまう部分を描いているのが印象的で、『ドッグヴィル』のような、ある集落に人々が傾倒していく感じ、住みついて執着していく感じと絶対に合うと思うんです。そこはもう松井さん節を大いに期待しています。
もうひとつ、松井さんの文体が、僕が今まで扱ったことのない文体なので、新しい文体と出会って自分の演出が変化することにも期待しています。おそらくお客さんも、僕と松井さんが組むなんてことは、想像つかなかったんじゃないかと思うんですよ」

松井「今までの作品で、空間の使い方とかセットの使い方とかを見ても、僕と杉原くんとは違うところが多いから、意外に思う人は多いでしょうね。でも杉原くんの空間や時間の作り方が面白いし、僕だったらリアリズムにこだわりすぎて、ちまちまと作るところを『いいじゃん!』とか『変えてこ!』みたいな感じで思わぬ展開をさせてくれそうで、風通しがいいんじゃないかなと思うんです」

杉原「逆に、“本当にこれ杉原邦生が演出したの?”みたいな作品にもなりそうな気がしていて。お互いの芝居のお客さんが観たことないものを観たってなってくれたら嬉しいですよね」

――― 現段階では、準備はどのくらいまで進んでいるのですか?

杉原「いままさに台本を書いてもらっているところで、ひとまず半分くらいまでいい感じであがってきています。随時書きあがったものを見せてもらって、方向性を調整したり、僕の方からここはどういうことですかと質問させてもらって、作品の輪郭をすり合わせているところです」

インタビュー写真

――― そもそも、最初にどれくらいおふたりですり合わせた上でスタートしたのでしょう。

杉原「昨年の『TATAMI』では、“人が自分の人生をどう終わらせるか”というとても個人的な話になったので、今度は集団の話にしたいなと思っていました。人が集まってしまう場所、集まらざるを得なくなった場所、そういうことにいま興味があって。ある場所に集まって生活している人々の中に、新たに個人が入ってきたときどういう変化が起こるのか、そんな話がやりたいということを松井さんにお話して。そこから始まったんです」

――― 集団の中に入ってくる新しい人というのは、どういうイメージなのでしょうか。

松井「さらっと言うと、集落をひとつの生き物みたいに考えていて、そこに異物が入ってきたときに拒絶することもあると思うんですけど、だんだん溶け込んできたときに、異物の意見に同化して染められていくのか、それとも異物が集団の色に染められていくのか、それはどちらでも良いのですが、そういう変化を見せたいと思いました。一つの生き物なんですけど、同化しているのか反発しているのかわからないまま、川が流れるように全てが進んでいく過程を見せたいというイメージです」

――― 結末は共有して書いているのですか?

杉原「結末は僕もまだわかりません。結局、人が集まると、そこは小さくても〈社会〉になるわけだから、異物が入ってきたときに影響されて変化していく。人が社会で生きてくってどういうことなのか、そこで自分が何を発信して何を受け取って生きていけばいいのか。物語の結末がどういう展開であろうと、今ひとりひとりが〈社会〉という集団と自分についてしっかり考えて行動すべき……って言うと道徳っぽくなるけれど、そういうテーマにいま僕たちアーティストが興味を持っているということは、社会がそういう動きをどこかで必要としているということだと思うんです。そこに松井さんと僕とで一石を投じられたら、演劇をやる意味があるのかなって。なんか、でっかい話になっちゃいました」

松井「僕もけっこうでかい話だと思っていて、日本人が置かれている状況のモデルケースじゃないけど、ある場所に、ひっそりと独自の文化を作って暮らしている人たちがいて、その中に異物が入ってくる。それは現代社会の人間で、今まで自分たちがよいと思っていたルールや価値が何だったのかわからなくなってくる。そのことで、今まで普通だと思っていたルールとか価値ってなんだろう?と思わせる時間にしたいというか、今と違う感覚を持っている人たちの中に自分が紛れ込んだらどうだろうというシミュレーションにしてもらいたいという感じはあります」

杉原「松井さんが言っていたように、集合体がひとつの生命体だとすると、でっかいものだけじゃなくて、個人としても考えられると思うんです。新しい価値観や考え方が個人の中に入ってきたときに、それまで蓄積してきた基本となる価値観や考え方にそれらが追加されていくのか、古いものが消されるのか、それとも、どこか一部だけが変化するのか。そう考えると、集団の話ではあるけど、あきらかに個人の話でもあるし、視点によって伸縮自在だと思うんです」


インタビュー写真

――― 物語の中には、こまごましたリアリティのある話も入ってくると思いますが、松井さんは、その細かさみたいなものを、どうやって見つけてきているのでしょうか。

松井「こういう取材のときに紅茶が出てくるのは普通ですけど、いきなり青汁とかが当たり前のように出てきたらズレがあるじゃないですか。そういうときにどういう会話をするのかなとか、そういうことを考えます。こちらは予想していなくても、あちらとしては普通の感覚だったりする。そういうちょっとした違和感について考えたりします」

杉原「こういう話を聞くと、作家の視点って自分にはないなと思うんですよ」

松井「それ面白いよね、絶対に台本を書こうとは思わないんでしょ?」

杉原「木ノ下歌舞伎で、歌舞伎の言葉を現代語に書きなおすということはあっても、ゼロから書くというのはないですね。一度だけ一般公募型のワークショップ公演で台本を全部書いて、それはそれで楽しかったんですけど、やっぱり向いてないですね(笑)。タイプにもよりますけど、演出家って相対的に見たり、引いて見るのが基本だと思うんですよ。もちろん、ある役に寄り添って俳優と一緒に考察しながら積み上げていくということはするけど、引いた視点で見るのが基本だと思っていて。でも、作家って全部の役の内面に入っていかないと書けないじゃないですか。それすげーめんどくせーなと思っちゃう(笑)。失礼な話ですけど」

松井「でも、わかるわかる」

杉原「作家は中に入り込むことが絶対に必要で、それっていい意味で超オタク的だと思うし、そこは自分とは違うな、できないなと。だからこそ、作家の描いた言葉から新しい視点をもらったときに、こちら側の視点が変化するのが演出家としてはすごく楽しいんです」

松井「僕は作家のときは、やっぱりねちねちとその人のことを考えているのが好きなんですよ。でも、演出のときは視点変わりますね」

杉原「僕の勝手な印象ですけど、松井さんはどちらかというと作家性が強い方だと思っていて、そこがやっぱり自分とは違うし、違うほうが面白いんですよね。一緒にやっていて、まったくストレスもないですし」

松井「おれもないな」

杉原「僕の思い通りのものをそのまま書いてくれているという意味ではなく、話し合ったことからずれずに、改稿ごとにきちんと積み重なってることが実感できるんです。だからストレスがないんですね。リラックスしながら作業できています」

松井「ここはどういうことですかと、率直に言ってくれるから、僕もやりやすいです。こっちもちゃんと積み重なってるなって感じがある。いつもは、一人で書いてると割ととっちらかるんですよ」

――― 美術に関しては、現段階ではどのようなことを考えていますか?

杉原「まだ決まってません。でも、集落の中でいろんなシーンがあるので、お客さんの視点が常に移り変わるようにはしたいです。限定されたスペースが変化していくのか、いろんなことがいろんな場所で起こるようにするのか、その方法はわかりませんが、とにかく空気とか人々の流れが見えるような空間にしたいと思っています」

――― 今、半分程度書きあがっているとのことですが、これから演出も入り、どのような作品にしたいとお考えですか?

杉原「今回はKAATプロデュースの公演なので、稽古場も公演会場の大スタジオも長めに贅沢に使わせていただける機会をもらっています。なので、劇場でつくることが強みになるような作品にしたいなと思っています。できる範囲の最大限のことを模索しながらやっていきたいなと思っていますし、KAATでしか実現できない、KAATでしか観ることができない作品になると思います。新たな名コンビの誕生をぜひ目撃しに来てください」



(取材・文&撮影:西森路代)

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