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斉藤哲夫

斉藤哲夫

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

斉藤 哲夫(さいとうてつお、1950年4月4日 - )は、日本の男性フォークシンガー、シンガーソングライター。

人物

埼玉県鴻巣市出身。明治学院高等学校、明治学院大学卒業。2018年現在は東京都町田市に在住。血液型はAB型。

アマチュア時代から、あがた森魚、野澤享司、鈴木慶一、はちみつぱいらと親交を深める。

1970年2月、URCレコードから早川義夫プロデュースの「悩み多き者よ」でデビュー。同曲は2000枚程度プレスされたという。その後ファーストアルバム『君は英雄なんかじゃない』を発表する。「悩み多き者よ」、吉田拓郎がカバーした「されど私の人生」が URC時代の代表的作品。ボブ・ディランに影響を受けたその文学性の高い歌詞から「若き哲学者」、「歌う哲学者」などの愛称で呼ばれたが、本人は求められたイメージにこだわりすぎて苦悩の日々を送った。

全国的に有名になったのは、1970年8月に開催された「中津川フォークジャンボリー」に出演してから。翌年の1971年8月の「中津川フォークジャンボリー」も出演したが、当時売出し中の加川良、フォークの神様・岡林信康の前に歌うプログラムに恐れをなして、「俺怖くて歌えないからダメだ。悪いけど代わってくれないか」となぎら健壱や、野澤享司、あがた森魚らに出番を譲っている。

ソロ活動のかたわら、1970年に五つの赤い風船の西岡たかし、ジャックスの木田高介とスタジオ・ユニット「吐痙唾舐汰伽藍沙箱」を結成。唯一のアルバム『溶け出したガラス箱』はアシッド・フォークの名盤として評価されている。

1973年、CBS・ソニー に移籍。同年『バイバイグッドバイサラバイ』、1974年『グッドタイム・ミュージック』、1975年『僕の古い友達』のアルバム3作品をリリース。ポール・マッカートニーやギルバート・オサリバンを思わせるメロディアスでポップ・センスあふれる楽曲、『君は英雄なんかじゃない』に続いてアレンジャーに瀬尾一三を迎え、ストリングスやブラス・セクションも導入したバンド・サウンドで新生面を開く。この頃はボブ・ディランよりはビートルズに影響を受けたことを公言している。「グッドタイム・ミュージック」ではシュガー・ベイブをコーラスに迎え、山下達郎がコーラスアレンジを担当。

その後、1980年にキャニオン・レコード / F-LABELから2枚のアルバムとミニアルバム『PIKA PIKA』をリリース。宮崎美子が出演していたミノルタ(現コニカミノルタ)X-7のCMソング「いまのキミはピカピカに光って」が収録されており、この曲はのちにシングルカットされてヒットしたが、本人が作っていない作品が売れたことにより、「仲間がなにか言ってるんじゃないか」「ファンが怒っているんじゃないか」と気にして、いくつかの音楽番組出演も乗り気ではなかった。

その後しばらく音楽活動からは遠ざかり、実家の食堂を手伝ったり、調理学校に通い、ハム工場にも勤めた。

1990年代には、ゆったりとしたロックアルバム『ダータ・ファブラ』(1992年)を自主制作。

2000年に生田敬太郎との連名アルバムを FFAからリリース。

2009年にキャリア初のセルフカバーベスト『spinach(スピナッチ)』をポニーキャニオンからリリース。

2011年9月29日、ライブ先の札幌で小脳梗塞で倒れ、長期入院するも復帰し、体調を見ながらのライブ活動を続行中。

夫人と娘2人の4人家族。

ディスコグラフィ

シングル


 
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