立川志らく

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立川 志らく(たてかわ しらく)は、江戸・東京の落語の名跡。この名前を名乗った落語家は、過去に5人前後確認されている。

  • 次項の志らく(本名、新間一弘)の前に、亭号が立川、翁家、升々亭、など3人ほどいる。
  • 朝寝坊志らく - 後の柳亭左好。(本名、田中直四郎)6代目朝寝坊むらくの門で名乗る。
  • 朝寝坊志らく(1880年1月3日 - 没年不明) - 初代三遊亭圓之助(本名、中村代次郎)の実子で最初は4代目橘家圓喬の門で喬生、明治30年代半ばに圓花、40年代に橘家小圓太、大正に入り3代目三遊亭圓馬(当時の7代目朝寝坊むらく)の門で志らくとなった。落語の演目「徳ちゃん」はこの人がモデルになっている。(本名、中村徳太郎)。

立川 志らく(たてかわ しらく、本名・新間 一弘〈しんま かずひろ〉、男性、1963年8月16日 - )は東京都世田谷区出身の落語家、映画評論家、映画監督。落語立川流、ワタナベエンターテインメント(文化人部門)所属。出囃子は『鳩』『花嫁人形』。日本映画監督協会にも所属。現在の妻は女優の酒井莉加。

来歴・人物

父親がギタリスト、母親が長唄という芸人の家庭で育ち、中学生の頃から落語と映画を好きになる。落語については、小学校高学年の頃から父親が落語好きで家にあった落語の本とレコードで親しみ始めたという。

祖父は昭和の名灸師である深谷伊三郎。

東京・日大三高から日本大学芸術学部に進学し、落語研究会(日本大学芸術学部落語研究会)に所属する。1985年10月、4年生の時、同サークルのOB高田文夫の紹介で7代目立川談志に入門し、前座名立川志らく(フランスの政治家、ジャック・シラクにちなむとされる)を名乗る。大学はその後中退。同窓には、元F1ドライバー片山右京、野球の福王昭仁らがいる。前座時代談志から命じられた築地市場での修行を当時の前座で唯一拒否したため、後に談志から「俺に逆らって売れた弟子は志らく位だ」と言わしめた。1988年3月に二つ目、1995年11月に真打昇進した。2001年彩の国落語大賞受賞。

1990年代には兄弟子朝寝坊のらくと立川談春ともに立川ボーイズを結成、深夜番組『ヨタロー』に出演、その後、真打昇進までは古典に打ち込み、真打昇進後はシネマ落語等の分野を開拓。

演目は両親の影響からか、音楽を作曲しながら落語のイメージを固めていくことが多い。

1992年、彼を筆頭とした落語家らで「“超”放送禁止落語界」と題した寄席を開催。皇室罵倒、差別用語連発の演目を披露「9月にも開催予定だが、もし無くなったら何者かのクレームにより演者が危急に陥ったと云々」と笑いを取っていたが、会場に居合わせていた部落解放同盟関係者が演目を全て録音、同団体からの糾弾を受ける。

2015年1月から独演会「立川志らく落語大全集」を開始。16年かけて203席を演じる予定。

2003年より劇団下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家・脚本家としても活動している。2014年現在まで16回の公演を数えている。

映画好きで知られ、1997年に『異常暮色』で映画監督デビュー。映画監督として日本映画監督協会にも所属している。『キネマ旬報』に映画エッセイ「立川志らくのシネマ徒然草」の連載を持ち、同連載は1996年と1999年に「キネマ旬報ベストテン」の読者賞を受賞した。映画関連では他にも、映画専門チャンネルのスターチャンネルで2008年から映画解説者の一員となり、独演会では映画を落語にした「シネマ落語」などの活動を行っている。

映画評論でも知られる快楽亭ブラックは、つまらない邦画のベストスリーに、志らく監督作品の『異常暮色』など3作品をランクインさせた。

映画監督の大林宣彦は、志らくの落語や舞台は好きだが、映画については「許せる」という表現をしている。

現在の日本映画界を嘆いており、小津安二郎や黒澤明が撮るような重厚な作品が日本映画界の中心にあるべきだと苦言を呈している。一方で、黒澤明監督の作品を映画賞をもらってから観始めた北野武については、『菊次郎の夏』『Dolls』を傑作と認めている。


 
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