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黒木瞳

黒木瞳

※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube動画検索等を行い、その結果を自動的に取得・表示しています。

 

Wikipedia

黒木 瞳(くろき ひとみ、1960年(昭和35年)10月5日 - )は、日本の女優、タレント、司会者、歌手、映画監督。元宝塚歌劇団月組トップ娘役。所属事務所は2011年10月11日よりポエムカンパニーリミテッド。

福岡県八女市(旧・八女郡)黒木町出身。出身地・黒木町(くろぎまち)に因み同郷の五木寛之(八女市出身で同じ中学の先輩でもある)が「黒木瞳」と命名。

来歴

幼少期

1960年(昭和35年)に4人きょうだいの末子(兄1人と姉2人がいる)として生まれる。地元で畜産業をする父と食堂を営む母は躾に厳しかったが、幼い頃から手間が掛らずにのびのびと育つ。剣道7段の父親の影響もあり、小学4年生から地元の道場で剣道を習った。幼い頃からピアノを習うなど音楽好きで、読書家であった。

中学2年頃に文化祭で菊池寛「父帰る」で娘役を演ずる友人を観て役者を志し、様々な映画を見て「映画に出たい」と夢も持つ。この時点で「中学卒業後は高校で演劇部に入り、大学で演劇を学んだ後、文学座へ入って女優になる」と夢を描く。

宝塚音楽学校

進学した福岡県立八女高等学校在学時には、演劇部に所属、その後部長として九州大会に進出。遡って1年生の時に友人に誘われ、福岡市民会館で行われた宝塚歌劇団の地方公演の舞台「ベルサイユのばら」を鑑賞した。初めて観た宝塚の舞台に衝撃を受けたことから、年に一度の福岡公演に翌年、翌々年も鑑賞した。

芝居の虜になっていたことから上京して女優になる夢を持つも、当時宝塚の福岡公演を趣味として鑑賞していた。このため高校1年、2年の頃は宝塚音楽学校を受験したことはなく、高校3年生の頃には音楽教師になろうと考えていた。後日受験した熊本県の音楽大学への進学が決まっていた が、上記の「ベルサイユのばら」で宝塚に憧れたことから、宝塚音楽学校の入り方に興味本位で資料を取り寄せた。応募要項に“受験資格は高校卒業まで”との記載を見て、記念受験のつもりで気軽に願書を提出。

両親に内緒でバレエに1週間通って同校を受験。試験日は希望の音大入学が決まったその1週間後だった。面接では筑後弁訛り一辺倒になった挙句、受験理由を尋ねられた際には「松竹歌劇団(宝塚歌劇団とはライバル関係にあった)でもよかったんですけどね」と発言したにもかかわらず、倍率22.4倍の難関をくぐり合格。上記の通り記念受験のつもりだったが、試験で1次、2次…と通過するごとに本人の中で「宝塚歌劇団に入りたい」思いが強くなり進路変更を決意する。両親に音大進学を取りやめて、合格した宝塚音楽学校への進学を打ち明けると猛反対された。しかし、祖母が助け舟を出してくれたことで何とか許可が下りた。

1979年4月に宝塚音楽学校に入学すると、学校の規則や人間関係の厳しさは(本人曰く)「慣れれば大丈夫だった」が、レッスンについていけないことに悩み始めた。このため在学中は、「毎朝6時40分に寮を出て学校で自主トレーニングをし、学校の授業を終えてから一時帰宅。再び寮を出て個人レッスンに行き、22時半の門限ギリギリに寮に戻る」生活を続けた。

宝塚歌劇団

1981年、宝塚歌劇団に月組の娘役として入団。入団時の成績は39人中3位。『宝塚春の踊り』で初舞台を踏んだ。67期生には女優の北原遥子、涼風真世、真矢みき、演劇プロデューサー、活弁士、日本舞踊講師の幸風イレネ、梨花ますみがいる。

同年5月18日に月組配属。

1982年1月より『おはよう朝日です・土曜日です』(朝日放送)にレギュラー出演し、司会、レポーターなどもこなした。在団中に東宝映画『南十字星』(1982年)に出演。これが映画初出演作品である。

男役・娘役通じて史上最速となる入団2年目で、大地真央の相手役として『情熱のバルセロナ』でトップに就任。研2でのトップ就任については、小顔で男役としては細身だった大地が同じような体格で度胸ある番組進行をこなしていた黒木に着目し、相手役にしたいと申し出た。当時の月組トップであり副組長も兼任していた榛名由梨も黒木を高く買い、67期生の初舞台公演中に「黒木さんを月組にもらいたい」と言ったエピソードがある。2年目での娘役トップにプレッシャーを感じながらも、以後大地と共に月組を率いた。


 
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