野田秀樹

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野田 秀樹(のだ ひでき、1955年12月20日 - )は日本の俳優、劇作家、演出家。多摩美術大学教授。東京芸術劇場芸術監督。朝日賞選考委員(2015年度より)。

来歴

長崎県西彼杵郡崎戸町(現西海市崎戸町)に生まれる。三菱炭坑勤務の父の転勤先であったため、すぐ東京へ引越す。兄は野田博明 である。小学校の同級生に映画監督の金子修介がいる。

1986年に劇団夢の遊眠社所属の女優竹下明子と結婚したが、翌年に離婚。

1989年、網膜中心動脈閉塞症(目に通じる血管が詰まる病気)が原因で右目を失明する。

舞台『真夏の夜の夢』(1994年)で知り合った大竹しのぶと5年にわたる同棲生活を送ったが、その後破局している。

2005年12月に女優・歌手の藤田陽子と再婚。2009年6月1日に第1子女児が誕生した。

経歴

  • 1972年、高校2年生の時に処女戯曲『アイと死をみつめて』を発表。
  • 1974年東京教育大学附属駒場高等学校卒業。駿台予備校文科一類に1年間在籍し、翌年東京大学教養学部文科一類に合格。
  • 大学入学後は演劇研究会に所属。
  • 1976年、東京大学演劇研究会を母体に劇団夢の遊眠社を結成。
  • 1981年、東京大学法学部を中退。
  • 1983年、『野獣降臨(のけものきたりて)』で第27回岸田国士戯曲賞を受賞。
  • 1987年、エディンバラ国際芸術祭に、劇団夢の遊眠社が招待劇団として参加、『野獣降臨』を上演。野田はこの時のカーテンコールを、駒場小劇場での『怪盗乱魔』初演、『贋作 桜の森の満開の下』の京都・南座の公演と並び、印象に残っているとしている。一方で「言葉遊び」を中心とする自らの作風の限界を痛感する機会ともなり、「物語」を重視する作風への変化や、後の海外での作品製作につながる公演となった。
  • 1988年、劇団夢の遊眠社がニューヨーク国際芸術祭に参加、『彗星の使者』を上演。
  • 1990年、劇団夢の遊眠社がエディンバラ国際芸術祭に参加、『半神』を上演。
  • 1992年、『ゼンダ城の虜――苔むす僕らが嬰児の夜』の上演を最後に、劇団夢の遊眠社を解散。創立から解散まで公演回数43回、総ステージ数1,205回、総観客動員数は812,790名であった。

 
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